成による研究は,そのための基礎研究を考えている。具体的には,東博本と別図様である斑鳩寺本の系統を提示し,なかでも新出の神奈川・総持寺本が同系譜中において重要な意味をもつことを明らかにしたい。また,本研究を足がかりとして,大和絵系羅漢図の日本における諸相を整理することを試み,請来された祖本との関係へと考察を及ぼすことを目指している。その意味から本研究は,平安時代絵画の受容と展開の一端を解明するための基本的研究として,上代絵画史研究に貢献するものと考えている。⑮ 法隆寺蔵四騎獅子狩文錦や正倉院蔵宝相華文錦などのサミット(緯錦)技法の成立とその世界性について研究者:闘古代オリエント博物館研究員横張和子わが国で一般に通用している説は,すなわち中国起源の空引機(ソラヒキバタ)が経錦と共に西漸し,かの地(ペルシア)には緯錦技法をおこし,それが逆流して中国に入った。そうして織りにくい経錦技法にとって代わった,というのである。けれども7世紀から8世紀にかけて,中国で法隆寺四騎獅子狩文錦のようなサミットが相次いで製作されているときにもなお,経錦が並行して製作されていたことが,アスターナ錦の編年的研究から知られるのである。このことはサミットは外来機種で,経錦は中国古来の機法で別々に作られていたことを考えさせる。そして8世紀末には経錦技法はその枠尾を飾るかのようにしばしの隆盛をみた後に絶えてしまう。地も模様も経糸の色で作る経錦技法はそれ自体完結的で,それ以外に発展する可能性をもつものでなかったからである。もはや生産力において空引機には太刀打ち出来なかったとみられる。技術的に経錦製作が空引機の原理に相容れないとする見解はヨーロッパの研究者から提出されてきた。空引機の機能はジャカードのメカニズムに原理的に同じであるからそれから経錦製作の理論を追究すると,経錦の最大の特徴が,経糸によって織物の全面を完全におおい尽くして地も紋様も作る織り方にあり,それがジャカードのシステムにはのらないと言うのである。そうして1960年から70年代に,フランス,リヨン所在の国際古代織物研究センターCenterInternational d'Etude des Textiles anciens (CIETA)に所属する研究者らによって,ペリオP.PelliotやスタインM.A.Steinの-71-
元のページ ../index.html#97