鹿島美術研究 年報第15号
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8世紀大安寺における唐文化受容の実態を,より具体的に考察してみたい。このうち持国天,多聞天の二像がサンダル状の履物を履いている点である。古代日本の天部像は皮革製の沓を履くのが通例で,こうした履物を履く四天王像はきわめて特殊な例といえる。一方,他の作例に目を転ずると,同様な例としては興福寺十大弟子像,阿修羅像があり,類似するものとしては伝楊柳観音像に代表される大安寺木彫群があげられる。ことに大安寺木彫群については従来,唐招提寺木彫群との親近性が指摘されているが,上記のような履物の有無は,両者の決定的な相違点といえ,こうした特徴的な履物を履く仏像は,わが国の古代彫刻中,大安寺と興福寺の諸仏に限られることとなる。このような履物はインドから中国を経てわが国の仏像に取り入れられたことは明らかで,唐文化受容を具体的に考察する上で一つの鍵になるものと考える。本研究では以上のような問題を立脚点として,従来とは異なる観点から大安寺系仏像を見直し,⑯ 幕末明治期の写真導入を通してみた日本近代の建築認識研究研究者:東京大学大学院工学系研究科博士課程清水重敦日本における建築と写真の関係について言及した研究としては,以下の2つをあげておきたい。金子隆一氏の「写真のなかの建築」(全15回,『建築知識』1993-1994年)は建築が写された写真を写真史の立場から紹介したものであるが,撮影者の視線に限定される嫌いがある。木下直之氏の『美術という見世物』(平凡社,1993年)は写真の持つ情報伝達の機能について着目しており,とりわけ建築においては写真が重要な意味を持つという指摘があり,示唆に富む。本研究はこうした断片的な研究状況を一新し,写真と建築との関係を総合的にとらえ直そうとするものである。写真という媒体を通して建築認識の問題をとらえる方法的視点は,まず建築の研究の枠組み自体にインパクトを与えうるであろう。建築を生産者寄りの閉じた世界から,施主,そして建築を使用し,享受する者までも含めた枠組みでとらえ直す必要があることは言うまでもないが,生産者以外の視点から建築をとらえる研究は,史料上の制約などから容易ではない。しかし,写真は様々な立場からの建築への視線が直に表れる媒体であり,写真からの読解は,こうした枠組みへの直接的なアプローチたりうるはずである。75 -

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