鹿島美術研究 年報第15号
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これにより,この領域の研究活動の進展に微力ながら寄与するものと自負している。<価値〉江戸時代後期京都の絵画史研究は応挙・呉春の時代と,近代京都画壇との隙間状態となっている。この隙間時代における画壇動向を明かにすることは,応挙から近代京都画壇への変容として捉えることでもある。具体的には,流派勢力やリーダー的絵師,時流となった作風についての考察によって,時代の推移に伴う流派の盛衰,時代様式の変質そしてそれらの近代への展開を明かにできるであろう。く構想〉実地の調査に基いた資料収集を極力広く行う。本研究は一次資料から判明した事実について統計的整理を行うとともに,画壇の社交面,人事面についての推察もあわせて行う。一大文化人社会となった画壇の,江戸時代後期における在り方を解明してゆく作業となろう。⑮ アンドレア・ディ・ラッザーロ・カヴァルカンティ(1412-62)に関する基礎的研究研究者:愛知産業大学造形学部講師林本調査研究は,カヴァルカンティに与えられた不当な評価を見直し,その活動を厳密に跡づけることを目的とする。しかし単に作家論的研究として完結するものではなく,さらに初期ルネサンスの礼拝堂装飾プログラムの再構成という,より大きな問題を検討するための基礎研究としての意味をもつ。礼拝堂装飾は当時の主要な造形活動であり,そのプログラムの解明は,今日,建築史,絵画史,典礼史,そして近年俄に活況を呈し始めた祭壇画と額縁の研究においても重要な課題となっている。ブルネレスキやミケロッツォによって新たに建設されたルネサンス様式の家族用礼拝堂では,建築的空間構成,壁面装飾,祭壇設置は比例と調和の感覚によって統制されており,開口部のアーチ,壁面を分割する付柱やアーチ,窓枠,祭壇,祭壇画といった個々の要素は相互に密接な視覚的関連性をもつべく設計されていた。しかしながら,現在これらの礼拝堂は後世の様式変化に伴う改修や新たな祭壇画設置によって変形され,統一体としての視覚効果も失われている場合が多い。失われた礼拝堂装飾プログラムを再構成するに当たって,不完全ながらも当初の姿を留めるパッツィ礼拝堂,サン・ロレンツォ聖堂旧聖具室,サント・スピリト聖堂左羊歯代-79-

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