翼廊礼拝堂,サンタ・クローチェ聖堂ノヴィツィアーティ礼拝堂などが重要な手掛かりとなり,実際に再構成を試みた研究は少なくない。しかし既往研究ではプルネレスキ,ミケロッツォらマエストロの活動のみが問題とされ,彼らの間を移動し実際に建築細部を制作していたカヴァルカンティのような「職人的」と形容される美術家の存在が十分に検討されていない。ブルネレスキ派(ブルネレスキアーニ)として一括される彼らの活動の詳細を明らかにし,マエストロの活動と併せてより包括的に捉え直す必要があると考えられる。そのためには通時的・共時的に活動を把握できる,相互に関連づけられたデータベース構築が有効な手段となるだろう。初期ルネサンスの礼拝堂装飾プログラムをより豊かなイメージをもって再現できるはずである。⑫ ラファエル・コラン研究ーフランス近代美術史の文脈における問題設定と見直し一研究者:福岡市美術館学芸員三谷日本近代洋画において白馬会系とされる黒田清輝・久米桂一郎・岡田三郎助らは,フランス留学中の絵画の師であるコランの外光派的な明るい色彩に影聾を受け,日本近代洋画の基礎を築いたとされている。コランは従って,この文脈においてしばしば引用されるが,実際のところ,コランの画業自体の研究はなされていない。その理由としては,コランが没後,世に忘れ去られていた期間が長かったため,作品の所在調査も,基礎資料の収集もなされていなかったことが考えられよう。この調査研究の目的は,コランの美術史上の位置づけと評価をなすための判断材料となる基礎的資料の集積にある。彼に関する一次資料のうち最も重要となるのは,コランがサロンに作品を発表した年の美術雑誌上に掲載された作品批評である。これをつぶさに当たることにより,コラン存命中の評価,並びに他の画家との比較・検討を通じてのフランス近代美術史上での評価をなすことがより容易になるものと思われる。そしてこの方面の調査は,今まで全くなされてこなかったことは言うまでもない。既にヨーロッパの美術館約120館に対する書面での調査により,作品の所在は多く,確認・整理されつつある。残るはこれらの作品を充全に評価する文献資料の収集であり,これによりコランをまずフランス近代美術史上で適確に位置づけることは,日本への彼の影響を考える上でも急務とされよう。-80
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