鹿島美術研究 年報第15号
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② 「雪のサンタ・マリア」図の黒子(ほくろ)発表者:長崎県立美術博物館学芸専門員徳山して知られる長崎近郊の外海町に伝えられ,和紙に和絵の具で描かれている。1600年頃に長崎のイエズス会の画学舎で描かれたものと考えられる。この画像はその当時,ヨーロッパから舶載されてきた銅版画から描き出されたと考えられ,その原画をそのままに復刻したと思われる銅版画が日本でのキリスト教説教本の中の一枚の挿絵として,ローマのヴァチカン図書館に残っている。両者を同一の銅版画から制作したであろうと考えるには,雪のサンタ・マリアの方がマリアの部分だけが残り,他方が聖母と眠る幼児キリストの図像であることからするとかなりの無理も感じられようが,両方のマリアの頬に黒子があることがそれを補つ。この黒子が修理中の別の聖母子像のマリアの頬に塗り込められた状態で発見された。これはマリアの頬の黒子の意味の解明の糸口になるのではないか。③ ニコラ・プッサンの視覚的源泉に関する基礎的研究—1640年代を中心に一一発表者:愛知県美術館学芸員栗田秀法1.研究の意図と方法発表者は,ニコラ・プッサンの個々の作品のヴィジュアル・ソースの解明によるこの画家の伝統への依拠の様相の明確化と,構図の生成過程の考察に基づく創造のプロセスの解明を大きな研究テーマとしている。今回助成金を受けて行われた研究は,1640年代の作品に関して行われ,いくつかの作品について新知見を得,その結果を三つに昨年は長崎の西坂で26人のフランシスコ派のキリスト教徒が傑刑に処されて400年目にあたり,長崎では色々の記念行事が催されている。西坂の丘には現在,この26聖人の殉教を記念した日本二十六聖人記念館があり,所蔵するキリシタン関係資料の中にのサンタ・マリア」と称される小さな軸装の画像が在る。このマリアの画像は元来,隠れキリシタンの里と光17 -

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