サンは,マルカントニオ・ライモンディ,アゴスティーノ・ヴェネツィアーノ,カラッチ一族,デューラー,ジュリオ・ロマーノ,ポリドーロ・ダ・カラヴァッジョ,テイツィアーノなどの版画1,300点を所持し,構想過程で絶えず参照していた。1640年代以前の作品では,16世紀のイタリアの版画,とりわけラファエッロやジュリオ・ロマーノに基づく版画,あるいはフォンテヌプロー派の版画がプッサンの制作過程において重要な役割を果していた。1640年代の作品に移る前に,1620年代の作品くアキスとガラテイア>と1630年代の作品<マナの収集>を代表例として取り上げ,視覚的な源泉と完成作品との多様な関係を実例に即して紹介する(2)。3. 1640年代以降の作品様式的な成熟を見せる1640年代の作品では,これまで視覚的な源泉の探求はほとんど実を結ばなかった。けれども,調査の範囲を北方の芸術にまで広げることで,こうしたアプローチからは成果が得られ難いとされてきた作品においても一定の成果が得られた。(ア)<ェリエゼルとリベカ>1648年主人公リベカのポーズが17世紀初頭の同主題のある工芸品に現れるポーズと関連があること,またそれが同時にこの主題の予型である「受胎告知」の図像のうち「思慮」の類型と関連していること,また,いくつかの人物モティーフがレオン・ダヴァンによる同主題の版画に由来していることなどを示す。(イ)<サフィラの死>1652-54年頃マールテン・ファン・ヘームスケルクに基づくフィリップ・ハレの同主題の版画がその構図のプロトタイプであることを指摘し,さらに構図の生成について考察を行う。分けて公にした(1)。2. 1620年代と30年代の作品に積極的な意義を与える資料として,次のようなものが存在する。17世紀の伝記作家ベローリによれば,プッサンはその青春時代パリにおいてラファエッロやジュリオ・ロマーノに基づく版画を熱心に研究した。またプッ発表者の研究およびプッサンの視覚的源泉の解明-18
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