鹿島美術研究 年報第15号
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主要各図および群衆描写や各所に散見される人物図を『京童』を粉本とした,屏風の『京童』の利用の仕方は,『京童』が存在しなかったら,この屏風が作れなかったと思えるほど内容的に依存している。最初の京都の地誌である『京童』は,京都各所の情報を読者に与え,楽しませるという本来の出版目的を超えて,洛中洛外図屏風の粉本としても適材となったのである。古くから,版本など刊行物の挿絵を粉本として絵画を描くことは多く行われ,現在もその例を多くみることができるが,それは,挿絵ー図か二〜三の複数を一幅の絵画にするようなものが多く,一つの版本から中屏風とはいえ,大画面の絵画作品になったものは著者は,この歴博E本と『京童』の関係以外見聞がない。本屏風は,版本挿絵を粉本とする絵画の在り方について,美術史をはじめ近世文化・文芸にまたとない好資料として受入れられるものと思う。-22 -

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