た。そのような彼の新解釈の一つに,トスカーナにおけるカトリック内部の宗教改革の動きと,ポントルモの作品の幾つかとの影聾関係を論じるものがあったが,それはカトリック内部の宗教改革と美術との関わりが未だ明らかにされていないだけに,極めて魅力的,かつ重要なものと思われた。しかし,コスタマーニャ自身,それを仮説の域にとどめているように,複雑な政治的・宗教的圧力で封じられ,潜行してなされた動きであっただけに,その実証は極めて難しい。だが,ポントルモやフィレンツェから目を転じ,当時のイタリアで生じていた諸現象に注意深いまなざしを注ぐなら,カトリック内部における宗教改革の動きは,その具体的作品の上に痕跡をとどめるか,まさに作品の存在自体がそれを物語ってくれるのではないだろうか。C.キアレッリとC.レオンチーニが,辛うじてポントルモのチュルトーザの壁画連作くキリストの受難>との関係を暗示しているトスカーナのサクロ・モンテ,サン・ヴイヴァルド(1500年頃〜1515年建設)とピエモンテ州ヴァラッロの代表的サクロ・モンテ(1478年着手)といった最初期のサクロ・モンテも,おそらくはポントルモの壁画連作と同様,そのような動きの中で制作,建設されたものと考えられる。このような最初期のサクロ・モンテについての位置付け,解釈は現段階ではあくまでも仮説であるが,コスタマーニャの仮説を裏付け,それを発展させる手段としては,有効な研究対象であると思われる。日本においては,まだ十分に紹介,調査・研究されていないという意味でも,イタリアにおけるサクロ・モンテの調査・研究は必要であろう。なお,サクロ・モンテを考察するにあたっては,単に絵画史や彫刻史,建築史的視点からそれを検証するだけでなく,総合芸術,民衆芸術的視点からも捉えたいと思っており,併せてイタリアのテアトロ史研究もすすめてゆきたい。③ 高橋草坪の学習と工夫ー一「山水画冊」を中心に_研究者:大分県立芸術会館主任学芸員古賀道夫この研究は,高橋草坪の画業研究の一環として,草坪の画風成立期に制作された「山水画冊」(全十図)に着目し,各図に示された山水表現の検討をとおして,草坪の画学習の様子や画風成立の過程を考察することを第一の目的とする。天保期以降,草坪は師の田能村竹田とは別の画風を模索し,独自の画風を形成していった。草坪が広く中国古画の模写を行っていたことは,中国画人の屋舎・人物の描-40 -
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