鹿島美術研究 年報第15号
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法をまとめた自著『撫古画式』も実証しているところであり,こうした徹底した中国画学習を基礎として,草坪画の新たな方向性は生み出されたものと思われる。草坪の様々な山水表現が集約された「山水画冊」は,並行して制作されたと思われる『撫古画式』と共通した家屋表現を含むなど,草坪の中国画学習がどのように作品上に反映されたかを窺わせる資料である。その内容を中心に同時期の草坪の画法を整理し,中国画及び竹田ほか周辺画人の作品と幅広く比較検討することにより家屋以外の描法にも中国画法の影響等を指摘することができると考える。それは草坪の画風成立の過程をある程度明確にするとともに,草坪画の独自性をより鮮明にし,南画史上に正しく位置付けることにもなる。また,「山水画冊」の成立状況を探ることは,謎の多い草坪晩年の生活を明らかにすることにもつながる。さらに,この研究は,竹田ほか同時代の画人たちが中国画法をいかに把握したかという問題を考察するうえでも意義深いと思われる。④ 下ビルマの陶磁研究者:町田市立博物館学芸員矢島律帯から白地に緑で特徴ある文様を描いた陶器が出土した。それ以前存在すら知られていなかったこれらの陶器はその後の研究で,錫釉陶であることが判明した。また,東アジアでは使用されていなかったとされてきたこの種の錫釉が,ビルマのバゴーにある仏塔の装飾タイルに使われていることも判明した。こうして1990年代に入る頃には初めてビルマ陶磁の歴史に関心が向けられるようになった。しかし当該国の政治情勢があり現地の訪問や現地研究者との交流が困難で,更に言語という障害が加わり,体的な研究はそれ以上進んでいないと広く認識されてきた。実際には少数ながら熱心な現地研究者が,オーストラリアの東南アジア陶磁研究家ドン・ハイン氏と窯地調査を行ない,かなりの成果をあげているが,当事者周辺以外にはそれがほとんど知られていない。また財政上等の問題から調査は中断されている。世界的な関心の高まりに反して,重要な研究の成果が公表されず,また中断されたままである事態は憂慮すべきである。ビルマ陶磁は中近東,東南アジア,日本から発見されており,おそらくマルタバン港から輸出されたものと推測されている。しかし,マルタバンが調査された1980年代中葉,タイとビルマの国境地帯にあたるタイ・ターク県メソッドの山岳地-41

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