こうした研究結果を踏まえて,印象派=保守派の画家たちに対抗する前衛といったこれまでの解釈を超えてもう一度印象派を見直す必要があると考えました。たとえばモネやルノワールですら,印象派展が開催されていた期間中に印象派展には出品せずサロンに作品を送っていたという事実があります。印象派展自体の質の変化ということもこの原因の一つとして考えられますが,そのほかに解体を目前にひかえたサロンの変質ということもありました。17世紀以来脈々と続いてきたサロンも1881年にはついに運営が政府の手を離れてしまいます。印象派展を調査することは当然必要ですが,それと並行して印象派の「敵」と目されてきたサロンの実体も研究せねばなりません。1870年に成立した第三共和制においてもサロンは美術行政の重要な一部門でしたから,政体の変化にサロンの運営も敏感に反応しました。このような時期に旗揚げされた印象派展,そしてサロンを社会的な広い視野から研究することは近代美術史上,最も要なテーマといってもよいでしょう。さらに両者から図り知れない影響をうけてきた日本近代の洋画家たちの研究の上でも,両者の実体をより正確に把握しておくことは有意義であると思います。⑫ 17世紀イタリア絵画におけるストイシズム主題研究者:松蔭女子短期大学非常勤講師「サルヴァトール・ローザ研究」の途上で,ストイシズムの問題にぶつかった時,手近な文献を当たったり,あるいは研究者仲間に尋ねたりもしたが,17世紀にストイシズムが再び信奉されていたかどうかについては,明確な解答が得られなかった。しかし,17世紀イタリアにおいて,とりわけバロック隆盛の中にあってもマージナルな存在で,宗教主題の大型絵画で成功しているとは言い難い画家たちの間で,ストイシズムの主題は根強い関心を集めていたという現象は,莫然とながら指摘されていた。本研究では,まずこの莫然とした認識を個々の画家や作品ごとに確認して実証し,17世紀イタリア絵画の中でストイシズム主題を明確に位置づけることを目的としたい。そして,その思想的・社会的背景を探ることで,芸術と精神風土,あるいは芸術と社会との関係において新たな経絡を見出すことができるのではないかと思っている。私は17世紀を様々な意味で過渡期的な時代と把えているが,本研究もその一環を実証してくれると予想している。この時期,カトリック教会の再興にともないバロック佐々木由里子-47 -
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