鹿島美術研究 年報第15号
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複数製作である為,伝達と云う役割を内含している。銅版画に見られるように直接銅板に傷をつけて行き,線の重なりで画面が構成される。⑭ ニューヨーク,アート・スチューデンツ・リーグに学んだ日本人画家たち研究者:愛知県美術館企画普及課主任学芸員村田真宏ほか2名アメリカに学んだ日本人画家たちの多くがニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグに学んでいる。それ故,同校に保管されている各画家の当時の受講記録を調査することは,これまで各作家の経歴上で,曖昧なままであった同校での学習について,その詳細を明らかにする。これは今後の研究に対して基礎的な資料を提供することができるものであり,まずは現地において可能な限り正確で,かつ詳細に実態の把握をすることを目的として調査を進める。そして同校に学んだ画家たちの在籍期間,受講科目等が簡単に確認できるような資料集をまとめて広く研究者,研究機関に提供したい。この調査が実施でき,その成果を報告することができれば,同校に学んだ画家たちを軸として,彼らの人間関係や画風の形成についての研究に多大な貢献をすることができる。⑮ 東京の近代陶磁器産業に関する調査研究研究者:成城大学非常勤講師小林純明治維新後の東京では,良質の陶土が採れないにもかかわらず,陶磁器産業が発達した。それは日本の陶磁器が欧米向けの重要な輸出品となったため,明治政府が首都である東京において陶磁器産業を保護育成したことによる。東京につくられた陶磁器製造工場には,政府の官吏が野に下って設立した工場など,政府と密接な関係をもつものが多く,当時の殖産興業政策に大きな影警を受けている。もともと陶磁器製造には不向きの土地であるがゆえに,大正期に入ると経営難で廃業したり,瀬戸などの本来の産地の工場に吸収されるものが多くなり,次第に衰退した。しかしこの間,東京の陶磁器産業は政府の美術工業政策を忠実に反映し,その技法や装飾は日本の近代陶磁器のモデルとされた。49 -

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