鹿島美術研究 年報第15号
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個人ないしは限られた血縁関係者によって営まれてきたが,中世以降俊乗房重源などによる大規模な勧進活動が展開されると,有縁無縁を問わず不特定多数の人々による結縁勧進が行なわれた。ここで取り上げる結縁交名は,いわばそうした不特定多数の人々の信仰の記録であるのだが,玉桂寺像や興善寺像など初期浄土宗関係の結縁造像の例にみられる民衆教化の方法は,基本的に快慶作例にみられる結縁交名の構成過程に共通した性格がみられる。さて,これまでに快慶の作例からは,結縁交名や印仏・経巻・消息など多種多彩な納入品が確認され,しばしば学会誌などで紹介されてきたが,ここに取り上げる快慶作の遣迎院像や岡山・東痔院阿弥陀像,あるいぱ快慶工房周辺の作例で,近年結縁交名の納入が確認された兵庫•福田寺像の像内納入品資料などは現在までのところは未公刊資料である。本研究ではまず,こうした未公刊資料の調査を行なう一方,画像を含む像内納入品のデータベースを構築し,CD-ROMなどの媒体を用いて史料化する作業を進める。さらに,ここでは上記の作例のほか,結縁交名の納入(銘記)が確認されている大阪・八葉蓮華寺阿弥陀像,奈良・東大寺金剛力士像,などの作例について,結縁者のタベース(総数約三万件)を作成する一方,滋賀・玉桂寺,滋賀・阿弥陀寺,兵庫・福田寺などの阿弥陀像の結縁交名データベース(総数約七万件)をそこにリンクさせることにより,総数約十万件に上る中世人名のデータベースが構築され,それらは将来美術史ばかりではなく宗教史,歴史学,民俗学など学際的な周辺領域においても活用されるものとなるであろう。⑱ 『月に吠える』研究ー一萩原朔太郎・田中恭吉・恩地孝四郎の時代ー一研究者:和歌山県立近代美術館学芸員井上芳本研究の目的は,萩原朔太郎の第一詩集『月に吠える』を,萩原朔太郎・田中恭吉・恩地孝四郎,三人の芸術家による詩と絵の共同作品として見直し,運命的ともいえる二人の出会いとその背景をたどりながら,彼らの生きた時代を浮かび上がらせることである。詩集『月に吠える』は,1917年(大正6)年2月に刊行された。「地面の底に顔があらはれ,/さみしい病人の顔があらはれ。/」という詩句ではじめられるこの作品は,近52 -

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