代の孤独な感情に光をあて,その奥深い部分を言葉にしえたという点で,日本の近代詩のあらたな地平をひらいた記念碑的作品と評される。しかし,この作品が計画当初から萩原,田中,恩地ら「三人の藝術的共同事業でありたい」という萩原自身の願いのもとで制作されたものであったにもかかわらず,それが彼らの「芸術的共同事業」として評価されたことは,これまでほとんどなかった。というのは,文学の研究者からはもっぱら萩原の詩的言語の解明に力が注がれ,美術の研究者からはもっぱら田中や恩地の描いた絵の究明にばかり注意が払われてきたからである。私は,この作品がつくられた当初の姿に即した視点を取り戻し,『月に吠える』を二人の作家がめざした表現世界の結節点に誕生した作品ととらえることによって,大正の個性派と言われる彼らの求めた内面表現の方途を見極めたい。そうすることによって,日本近代についての議論のある帰着を,具体的に指し示すことができると考えるからである。⑲ 山東京伝序「江戸風俗図巻」の研究研究者:大阪大学大学院文学研究科博士後期課程安井雅恵江戸後期の肉筆画巻に関しては,内田欽三氏が近年,精力的に論文を発表され,徐々に,その制作背景や社会的意義などについて考察されはじめている。しかし,浮世絵研究全体においては,版画の研究よりはるかにたち遅れていると言えるだろう。中でも京伝筆とされている本作は,絵師が戯作者とされてきたためか,ほとんど研究の対象にならなかった作品である。これまで,本作は京伝の考証学的興味という,序文から安易に読みとれる個人的な文脈の中で理解されてきた。しかし,無背景に立ち姿の人物を一人一人配し,時間の経過も,場所の変化も全く表現しないという本作の構成は,江戸後期の肉筆画巻の中でも特異なものである。受注制作であろうと思われる本作の特異な構成は,おそらく発注者の意図を反映してのものであろう。この構成に着目することで,どのような題材が,肉筆画巻として求められたのか,また社会全体のどういう流れの中で,本作のような肉筆画巻が制作されたのかが,立ちあらわれてくるのではないだろうか。本作の研究において最も重要視したいのは,肉筆画巻制作の場でありそれを通して浮世絵と同時代の文化とが,いかにして交わったのかについて-53
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