的とする。中でもメトロボリタン本は,日蔵上人巡歴靡の長大な描写によって,これまで独自の構想を持つ「特殊」な作例と見られて来た。しかし,根本縁起とされる国宝承久本の六道絵描写,下絵断簡の大政威徳天宮の表現などとの関連からも,むしろ日蔵諒の絵画化は,天神縁起図様の発生期における重要な一主題として捉えるべきものであると思われる。本研究ではこの点に注目してメトロポリタン本の実物の画面,またその模本の状態を調査し,初期の各作例との比較研究を仔細に行うことによって,メトロポリタン本を天神縁起絵巻形成初期の図様変動の時期に位置付け,日蔵靡絵画化の問題について新たな視点を提示したいと思う。また,杉谷本の近接本として,初発図様に関し示唆的な要素を持つスペンサー本をはじめ,これまでとくに紹介されたことがなく,国内の類本と比較検討されることもなかったその他の作例については,本研究において初めて各場面図様の把握,画風等の研究を徹底し,それらの個々の特徴を明らかにするとともに,天神縁起絵巻の系譜中に位置付け,あらためて図様の変遷の経緯を考察したいと考えている。⑬ パウル・クレーと社会状況研究者:東北大学大学院文学研究科博士後期課程約九千点以上を数えるパウル・クレー(1879-1940)の作品は,その厖大な数と内容の多様さの理由もあって,多くの研究者が様々なアプローチをしてきた。しかし,それらの研究の主な流れは作品の形式的側面の考察に偏っているか或は,二十世紀前半期のドイツ,さらにヨーロッパの社会的状況をほとんど無視して行うものが大部分である。そのようなものには,客観性に欠けていながらも各々の研究者が見たい部分だけを見る過ちがしばしば発見される。そこで,より客観的な研究に近付くと同時にもっと豊かな作品の享受方法を見つけるために,政治・経済を含めた当時代の社会全般の状況を考慮に入れて,クレーの作品と活動を考察する心要があると思う。近年,O・K・ヴェルクマイスターを中心にした何人かの学者たちは,クレーに,社会・政治的情況という光を当て新たな作家論を展開してはいる。しかしながら,かなり多くの示唆を与えてくれるそれらの研究も,まだ作家の生涯全般にわたって行なわれているとは言えず,論じる作品も限られていることも目だつ。申請者は,1910年下慎恵-56 -
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