代と1930年代に限られていると思われるそれらの研究を踏まえながらもさらに,作品と年代の幅を広げつつ,他の美術運動との比較も必要であると判断する。特にベルリン・ダタイストのG・グロッス,チュリッヒ・ダダイストのH・アルプ,社会派リアリストのK・コルヴィッツ,そして,表現主義建築運動におけるB・タウト等のドイツを中心にするアヴァン・ギャルドの重要な人々との影響関係を探ることでコンテキストにおけるクレーの芸術活動がどのように連動したかその明確な位置づけを計りたいと思う。この研究によって,パウル・クレーに関する既存の研究に,より豊かな解釈の余地を与えながらも客観性を堅持したクレー論を発展させることかできると思う。⑭ 明代中期正徳青花を中心とする景徳鎮窯業の研究研究者:根津美術館学芸部嘱託佐藤サアラ本研究は中国陶磁史の流れの中でいまだ手のつけられていない基礎研究であるという点で意義深いものである。これまで明時代初期の官窯青花や末期の民窯青花の展開についての研究は,資料の増加とともに数多くなされるようになったが,その中間に位置する明中期の景徳鎮の研究は,現在のところ極めて手薄な状況にある。しかしながら,中期に入り,本格的な色絵の時代を迎えつつある中で,青花における官窯・民窯の様相を整理することは,明代陶磁全体の流れを従来よりさらに進んで明確に把握する上で重要な課題である。研究の構想として,申請者は問題の所在を正徳青花におき,明代陶磁史に新たな視点を加えることとする。対象とする正徳青花は,色絵の本格的展開を目前にして,に広く販路を持っていたが,明初期及び末期においてかなり明確に分けがあった。款銘入りの宮廷用磁器と,無款の民間用・貿易商品あるいは賜与品としての輸出用である。しかしながら,正徳青花に関しては,本来宮廷用であるはずの官窯在銘品が海外に数多く残されている。そしてさらに注目すべきは,それらの所蔵場所によ?て装飾文様が作り分けられているという点である。イスタンブールのトプカプ宮殿といった回教圏には特殊なアラビア文字装飾文,正徳頃から対中貿易に勢力を発揮したポルトガルには,ポルトガル王室の紋章を装飾文様とする青花が残されており,しかもそうした明らかに輸出用の青花が極めて優秀な作りであるということは・民窯の境界が混沌とした状況にある。景徳鎮は国内外-57 ・民窯の作り
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