在籍している。ボナのアトリエがこうした忽々たる画家たちを輩出できた背景は何よりもそのリベラルな精神にあったと思われる。すなわちボナ自身の絵画様式が,若き日にマドリードのプラド美術館で見たテイツィアーノ,ベラスケス,ヴァン・ダイク,レンブラントらの影響を強く受けている一方で,同時代,画檀のアヴテンギャルドな存在であったクールベ,マネらの様式も採用しているのである。したがってその教育方法については特別に調査研究する価値があると思われる。この時,彼が所有していた<サテュロスに担われるニンフ〉を含む良質な美術コレクションの役割を見過ごすことは出来ない。ボナが偉大なるコレクターとして蒐集をはじめたのは1880年頃からであるが,その対象はルネサンス,バロック期のオールド・マスターの素描からコンテンポラリーな作品にまで及び,それが1924年に故郷に創設されたボン美術館の基礎となるほどの規模であった。それらが彼の教育上大きな役割を果したことは疑いなく,その過程で,模写とはいえ中でも名品の一つに数えられプッサンのくサテュロスに担われるニンフ〉の調査研究は重要な課題となろう。ちなみにボナ美術館は,プッサンに関して言えば,2点の「バッカナーレ」を含む15点におよぶ真作素描を有しており,この数は王室コレクション以外の個人コレクションとしては世界最大級のものである。ここに彼の絵画教育上のプッサンの重要性を窺い知ることが出来る。したがって本研究課題は,プッサンの初期神話画の研究を主軸としながら,批評史・影響史をも辿る過程で,それを契機として将来的には,申請者がもう一つの課題とするレオン・ボナとその絵画教育の研究,さらには彼に学んだ横浜出身の画家五姓田義松への影響への展開も包含している。⑱ 17 • 18世紀に輸入された洋書と日本絵画の関係:秋田蘭画が使用した洋書を中心に研究者:カリフォルニア州立大学ロングビーチ校客員教授本研究目的は次の四つの点に要約される。1)秋田藩主佐竹曙山の著した「画法綱領」と「画図理解」は日本で最初に書かれた西洋画論である。この画論に曙山は,ジョセフ・モクソンの「実用的な遠近法」とライレッセの「大絵画本」から挿絵を引用している。曙山の写生帖の一部の起源-60-ヒロコ・ジョンソン(HirokoJOHNSON)
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