鹿島美術研究 年報第15号
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⑮ プルーノ・タウトの作品及び理念に対する日本建築の影響について研究者:早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程プルーノ・タウトは,ナチス政権を逃れ日本に3年半にわたり滞在したが,滞日による日本建築との直接の接触にも関わらず,日本で実現された作品の少なさという実が,滞日中及び滞日後のタウトの建築作品と日本建築との関わりを考察する意識を希薄なものとしてきたことは否めない。しかし来日以前に,タウトと日本建築との関わりが特別なものであったことは,タウトのドイツ時代の著作にすでに語られている。タウトが来日する以前(1904-1932),来日後(1933-1936),離日後(1936-38)にわたって,タウトと日本の関わりを示す建築作品を調査することは,これまで言説を中心に考察されてきたタウトの日本建築観に明確なかたちを与えるとともに,日本におけるタウトに新たな評価を加えるものと考えられる。ドイツでは,東西ドイツ統一後に現存する建築が新たに確認され,また近年,初期の絵画作品が確認されたことによってタウトの建築作品が新たな面から研究されるなど,現在においてもドイツ近代建築史におけるタウトの位置づけと評価が試みられている。タウトにとっての日本建築の意味をその作品によって解明する研究は,ドイツにおける研究の方向にも大きな意味を持つものと考えられる。⑯ 覚禅紗に関する調査研究研究:愛知県立大学助教授覚禅紗は,百巻紗とも呼ばれるように,大部な図像・文献であり,平安末・鎌倉初期の真言密教についての百科事典的な著述である。図像は400葉ほどあり,関連する文も豊富で,美術史的価値は極めて高い。それにもかかわらずこれまでのところ必ずしも研究が進んでいない現状がある。そのことに問題の所在を見いだし,調査研究にした。研究が進んでいない理由は,覚禅の確実な自筆本が未発見で,2種の公刊本(『大正新脩大蔵経』本,『大日本仏教全書』本)のほかに,多数の価値ある伝写本・異本があり,研究の基礎条件が整っていないことが大きい。まず必要なのは,調査活動と諸本校訂作業であり,現存本の全貌を明らかにすることかと思われる。それ自体,美術史川道夫ほか16名-67 -沢良子

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