鹿島美術研究 年報第15号
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・日本史学•仏教学などへの貢献度をもつと考えられる。また,諸種の索引を作成するなどの作業によって,覚禅紗研究の円滑化に資すことが可能であろう。これらの成果発表を目指すと同時に,覚禅紗を通じて知りうる個別の論点を研究論文として公表していくことも予定している。本研究が進むことは,覚禅紗そのものの基礎データを学会に提示することとなり,また平安期から鎌倉初期に固有の美術史,さらには各分野研究の解明に,相応の貢献を果たすことになる,と期待される。⑰ エル・グレコ作くラオコーン>再考研究者:シカゴ大学大学院人文学部美術史学科博士課程松原典子1960年代以降のエル・グレコの蔵書に残されていた自筆の書き込み発見とその内容分析は,かつての表現主義的宗教画家というエル・グレコ像を覆し,それに代わる理知的・論理的ルネサンス芸術家の一人としての評価を定着させたと言えよう。それに伴って,エル・グレコ芸術を完成に導いたとも言えるトレドの知識人たちへの注目が高まり,彼らが画家の制作活動に及ぼしたであろう影響を考慮しつつ個々の作品に再解釈を与える試みがなされてきた。1982年の大規模なエル・グレコ展のカタログにおいて,リチャード・ケーガンはエル・グレコ時代のトレドの実情を経済・政治・宗教面から検討するとともに,画家の友人・パトロンについての概観を行っているし,またリチャード・マン(1986)は,エル・グレコの3つの主要祭壇装飾プログラムを,そのパトロンの思想と照らし合わせて詳細に分析し,制作課程での両者の共同作業の重要性を強調している。こうした状況にあっても,今日まで伝わっているエル・グレコ唯一の神話画であるくラオコーン>については,当時のトレドの宗教的事情を異教神話の名の下に表現したのであろうという以外には研究者間で何の意見の一致にも達しておらず,未解明の部分が多い。しかしながら,トレドの知的エリート層の中に活動の場を見出したギリシア生まれ,イタリア仕込みの理知的画家としてのエル・グレコ像を考えるならば,この最晩年の異教的主題の作品こそが,そうした彼の複雑な芸術性を,ある意味では他のどの作品よりも強く示し出していると言えるであろう。作品に関連する記録の喪失,特異なモチーフ(ラオコーン父子以外の裸体の2人の-68 -

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