鹿島美術研究 年報第15号
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会情勢による制約をうけながら理解されることとなった。とくに,公刊された美術雑誌上の記述にはそれが顕著に現れている。戦時統制下の美術雑誌は,当局の検閲のもとにというよりもむしろ当局の圧力を想定した美術関係者たちの自主規制によって作られていたのである。その紙面からうかがえるのは,美術関係者たちは有事にさいして杜会に必要とされる美術の模索を行っていたということである。それは西洋渡来のものが生活のなかから廃絶されようとした時代に,西洋美術を生活のなかで存続させようとする努力であった。当時の美術関係者たちは,西洋美術が戦時下のイデオロギーに対立することなく,さらには有益にはたらくようなかたちで紹介したのである。大衆と美術あるいは生活と美術の接近を強調する文面が雑誌の随所にみられる。このような情勢をかんがみ,本研究では,「古典主義」と「大衆性」というキー・ワードを手がかりに,両概念を結びつけた戦時統制下の独特の西洋美術史観に迫る。⑫ 近世漆工芸における中国趣味の受容と展開ー小川破笠を中心に一研究者:学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程小林祐子江戸時代は幕府による鎖国体制がとられてはいたものの,完全に国を閉ざし外国との関わりが一切なかったわけではなく,長崎におかれた出島を窓口としたオランダ・中国との交流を中心に,対馬を通じての日朝関係,また琉球を通じての琉中関係も維持されていた。このような海外との交渉は,商品の輸出入を主な目的としていたが,これにともなって海外の情報,あるいは学術,文化などの移入も盛んに行われ,それらが江戸時代の文化に与えた影響はきわめて大きいといえる。なかでも,中国文化の情報は,黄架寺院などを介して日本全国に伝えられていった。美術の分野においては,長崎派や日本の文人画などに与えた影聾が既に広く知られており,また工芸では,尾形乾山・青木木米による煎茶道具の制作や,肥前磁器の絵付けに中国製版本の使用が確認されるなど,陶磁器における中国趣味の研究が近年注目を集めている。しかしながら,漆工芸の分野ではごく最近まで,近世以降に制作された作品の本格的考究が行われなかったこともあり,このような観点からの研究はほとんどなされていない。本研究の大きな目的は,近世の漆芸品を中国趣味という視点から改めて問い直し,その受容の過程と多彩な展開について明らかにすることにある。-72-

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