鹿島美術研究 年報第16号
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15世紀イタリアにおける光の形而上学的意味について確認し,この視点からアルベルちによって充分に議論されてこなかった3つの点に注目し,実証することに,その意義と価値が認められる。先ず第一に,15世紀イタリアの宗教建築において光の概念が果たした役割が顕著であること。つまり,従来指摘されてきた幾何学的問題のみならず,15世紀イタリアで盛んに議論された光の形而上学が,建築家たちがその思想を広範囲に渡って神学・哲学者たちと深く共有することを通じて,実際の建築に応用実践されていたことである。第二に,12世紀ゴシック建築に見られるような聖堂内に均等に拡散していく光の概念が,ブルネレスキの設計した集中形成のサンタ・マリア・デリ・アンジェリ聖堂においても空間化された。その「均質な光」の概念は,アルベルティがサンタンドレア聖堂において従来一つの空間であったキリスト教聖堂の内部空間を分節することによって,「光と闇のコントラスト」の概念に取って替えられた。さらにプラマンテが「局所的に照らす光」をサンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂において導入することによって,このコントラストは一層強化された。こうした変遷を明らかにすることによって,本論文が,バロック的光の取り扱われ方が,15世紀から徐々に準備されていたことを明確化すること。第三に,従来アルベルティとクザーヌスの思想的影響関係は,指摘されながらも徹底的に実証されることがなかったが,本論文が,先ずクザーヌスの光の神学を中心にティの「絵画論」に現れる「拡散する光」について考察し,初期のアルベルティとクザーヌスが光について多くの概念を共有していたことを実証することである。⑳ 中国甘粛省における5世紀前半の仏教美術に関する調査研究研究者:京都大学大学院人文科学研究所助手稲本泰生中国と西城の文化交流において扇の要のような役割を果たしてきた甘粛地方における5世紀前半の仏教美術は,(1)北魏の帝都平城周辺で460年代に造営が始まった雲岡石窟の美術の成立に大きな影響を与えた,(2)5世紀末から6世紀にかけての,漢族色の濃厚な造像様式(龍門石窟の北魏造像を典型とする)の確立に至る流れの萌芽が認められる,という二点において,その後の中国仏教美術史の展開の方向を決定づけたと考えられる。しかし同地域には敦燻の初期窟をはじめ5世紀前半か後半かで制作年代-74 -

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