に関する見解が分かれる遺品が多く,さらに隣接する新彊地方の仏教美術の編年体系も確立されていないため,現状では中央アジアから甘粛を経て雲岡・龍門へと至る作品の系譜を時間の流れにそって克明にたどることが難しい。それゆえ上掲の(1)(2)の事実についても漠然とした印象に基づいて語られることが多かった。そうした中,敦煙・酒泉などで出土した数基の北涼石塔,姻霊寺石窟,天梯山石窟などが甘粛の5世紀前半の基準作例として近年注目を集め,中国の学者を中心に多数の調査報告ならびに研究成果が発表されている。しかし既刊の調査報告はその全貌を伝えておらず,不明な点が多々存する。また研究内容にも(イ)インド・ガンダーラ・中央アジアの資料との比較検討が表面的なレベルにとどまっている,(口)分析が考古・美術の観点に偏向しがちで,歴史・言語・宗教など隣接諸領域の成果に対する理解が不足している,などの点で不備が目立ち,より広い視野に立った再考察が要求されている。本研究ではこれら基準作を中心に,現地調査による知見と,地域的にもジャンル的にも広範囲にわたって収集された資料を総合して,5世紀前半の甘粛仏教美術における西方的要素と中国的要素の混滑の様相を多角的に解明し,上掲の(1X2)の流れを文化交渉の深層から跡づけたい。さらにその作業と関連づけながら,制作年代に議論のある同地方のその他の作例,および新橿地区の作例についても調査・検討を行い,編年問題の解決と歴史的位置づけにむけた有益な指針を提供したいと考えている。⑱ 日本美術における絵画と文字の関わりについて研究者:東京大学大学院人文社会系研究科博士課程三戸信恵日本美術における絵画と言葉の関係については,特に絵巻物などの説話画を中心に,美術史のみならず,文学,歴史など様々な分野の研究者によって採り上げられてきたが,そこで主な論点となったのは,意味・内容を通じての視覚的表象と文字媒体との間接的な結び付きを読み解くことであった。しかし,絵と言葉の問題は間接的な交わりの中にのみ見出されるわけではない。描かれた絵画と描かれた文字によって一つの作品が成立する,その過程において,絵と言葉はより直接的な対峙,共存の関係を保っているのであり,間接的な関係と直接的なそれとの両者が明らかにされてこそ,作品そのものに内在する絵画と言葉の本質的な問題をえぐり出すことが可能になるのである。後者に関しては,文字をデザイン化して絵の中に取り込む「芦手絵」や,絵画75 -
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