ウアーなどの哲学の影響を検討した上で,「メタフィジカ絵画」の意味を考察する。特にベックリンとクリンガーの影響については,ドイツの芸術雑誌『パン』や,その創設者であるユリウス・マイヤー=グレーフェが執筆した研究書から考察する。また,デ・キリコの文章の分析については,おもに画家のフリッツ・ガルツやカルロ・カッラなどに宛てた手紙や,『ヴァローリ・プラスティチ』,『イル・コンヴェーニョ』,『ラ・ロンダ』などのイタリアの芸術雑誌に掲載された論考をできうるかぎり収集し,検討する。⑮ ベルゼ・ラ・ヴィルのクリュニー系修道院礼拝堂壁画の研究研究者:東京芸術大学大学院美術研究科博士課程向井隆広私がこの壁画の様式を研究するのは,図像にくらべ,研究者により,相異なる見解が多く,ひとつの論理的かつ包括的な結論が提示されていないと考えるからです。従来は,ビザンティン美術との類縁性が指摘され,たとえば,9世紀後半の『ナジアンゾスのグレゴリウス説教集』や10世紀中頃の『パリ詩篇』などが,その源泉とされてきました。そしてこれらにみられる“濡れた襲”の表現形式がローマやモンテ・カッシーノにおいてよりグラフイカルで装飾的なパターンに変容したと考えられ,それがベルゼ・ラ・ヴィルにもたらされたといわれているのです。しかし,いずれも壁画の一部をことさらに強調したもの,あるいは印象的な莫然とした記述にとどまっています。私は,以上のような点について,大まかな印象ではなく,描線ひとつひとつにいたるまで入念に検討するとともに,影響の証左としてローマやモンテ・カッシーノのみならず,北方の,とくにカロリング朝の美術,そして古代美術の作品を具体的に同定しようと考えています。たとえば,アプシスの半円蓋のキリスト像にみられる,たっぷりとした独特な衣の着こなしや,袖口に顕著な“鋸歯状の製’'は,従来の見解では,説明のつかないものです。これに関して私は,古代末期の石棺レリーフやラヴェンナの聖堂モザイクを経て,カロリング朝宮廷派の写本挿絵にいたるひとつの表現形式発展の流れの遺産を考えています。こうした未解決の部分を逐次,検討し直し,ベルゼ・ラ・ヴィルの壁画のもつ重層的な様式的特質を明らかにすることを,本調査研究の目的にしたいとおもっています。-79 -
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