鹿島美術研究 年報第16号
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次に天野知香氏の選考理由につきまして読み上げます。本論文は第一次世界大戦以後のほぽ10年間の時期のマチスの画業を当時の批評に見られる時代的背景をさぐりながら,画家自身の芸術思想の成熟発展の文脈の中に位置づけ,それによって20世紀前半の西洋美術史を改めて見直そうとする極めて意欲的な試みとして高く評価される。従来の美術史においてはマチス,ピカソなどを中心とするフォーヴィスム,キュビスムにはじまる20世紀の芸術革命は大胆な実験精神に基づく新しい造語法の獲得という,いわゆるフォルマリズムの視点が主流であり,その見方によれば第一次世界大戦後の,特に1920年代のマチスは伝統への復帰として,ともすれば軽視されがちであった。それに対して天野氏はこの時期のフランス絵画界の状況を詳しく調査したうえで,マチスの作品の主題と表現を精細に分析し,単なる復帰,後退ではなく,新しい人間性,精神性の確立というマチス芸術にとって重要なものであることを実証してみせた。この視点は新鮮であるとともに十分に説得的であり,今後のマチス理解にとって欠かせないものになるであろう。その立場にあたって当時の批評や芸術家の書簡などの基礎資料を徹底的に渉猟し,発掘したことは天野氏の最大の功績であり,また当時の社会状況の分析や近年のジェンダー論の視点の導入などに見られる目配りの良さも評価されてよい。今後はこの成果に基いて独自の20世紀美術を構築することが著者の課題となるであろうが,本論文にはこの課題の達成を期待させるに十分な労作というべきであろう。以上,高階秀爾委員の選考理由であります。次に授賞者に次ぐ優秀者でありますが,これは日本・東洋美術部門から太田記念美術館学芸主幹の加藤陽介氏「小林清親の洋風表現について」,西洋美術部門から清泉女子大学非常勤講師の荒川裕子氏「博物学から絵画ヘ―J.M.W.ターナーの〈捕鯨〉作品を中心に一」以上2名の方が選ばれました。なお,これら4名の方による研究発表会が助成金贈呈式の後で行われることになっております。-16-

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