鹿島美術研究 年報第16号
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(4) 第14回研究発表会① 「博物学から絵画ヘー一J.M.W.ターナーの〈捕鯨〉作品を中心に一ー」1845年と46年のロイヤル・アカデミー展に,ターナーはそれぞれ2点ずつ,南海(も本年度の研究発表会は,1998年5月15日鹿島KIビル大会議室において,第5回鹿島美術財団賞授賞式,1998年度助成金贈呈式に引き続いて,財団賞受賞者2名と,それに次ぐ優秀者である清泉女子大学非常勤講師・荒川裕子氏と太田記念美術館学芸主幹・加藤陽介氏の計4名の研究者より次の要旨の発表が行われた。研究発表者の発表要旨:発表者:清泉女子大学非常勤講師荒川裕子ように,この時期のターナーは,すでに知悉していたヨーロッパ周辺の海を離れて遠い未知の外洋へと一気に視野を広げたのである。本発表では,このような主題上の地理的拡大がなぜ起きたのかを明らかにするために,彼の〈捕鯨〉作品に焦点を当ててその視覚的源泉を探ってゆく。しくは北氷洋)における捕鯨の光景を描いた油彩画を出品した。これらはいずれも,発想のある部分までを,1839年に再版されたトマス・ビールの著作『抹香鯨の博物誌』に負っている。事実,4枚の絵のうちの3点には,各々のタイトルのあとに「一ビールの『航海記』を見よ」と添えられている。しかしながら,ターナーの画面を詳細に検分してみると,必ずしもビールの記述を忠実に再現してはいないことがわかる。同時期に制作された〈捕鯨〉主題のスケッチやヴィニェットも併せて見てみるならば,画家により広範な源泉からイメージを得ていたことが推察される。46年に出品された一連の〈捕鯨〉主題の作品が示すその60年近くに及ぶ画歴を通して,絶えず新しいテーマ,新しい光景を追い求め続けた。晩年の1840年代には彼の多彩な主題のレパートリーに,またひとつ新たな局面が加わることになった。すなわち,アフリカー西印度諸島を結ぶ大西洋貿易航路を舞台にした《奴隷船》(1840年,ボストン美術館)や,1845• ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナーは,-17 -

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