鹿島美術研究 年報第16号
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2.肉筆画の洋風表現__ー「開化之東京両図橋之図」をめぐって1.木版画の洋風表現上記のような斬新な木版画の表現をどこからどのように学んだのかは,清親研究の一つの大きな課題である。ワーグマンから水彩画の手ほどきを受けたとされるのも,確実な伝聞とはいいがたい。そこで今回は,アメリカの石版画,特に機関車の一図が原画として指摘されているカリエ・アンド・アイヴス社製の石版画との関係に注目し,より多くの比較を試みた。ここでは,清親が明治10年の第一回内国勧業博覧会に出品した木版画の力作「提灯と猫」を中心にとりあげ,両者の関係が,図柄の転写だけでなく,描写方法や版画としての形式,主題の設定などに及ぶさまを提示したい。清親の肉筆画は,戯画的な要素を含む軽妙なもの,あるいは古典に題材を求めた淡彩で略筆の作品が大半を占める。様式等による編年など位置付けも難しく,若干の洋風画を「光線画」などと同じ時期に描くも,もっぱら小品を手がけた,とされ,本格的に取り上げられることが少なかった。そうした中で,「開化之東京両国橋之図」(太田記念美術館蔵)は注目すべき作例である。洋風表現のみられるこの作品もまた漠然と明治10年代までの制作年代が想定されてきた。しかし,描かれた景観と画面に自ら記した「開化之東京両国橋之図」というタイトルを検討すれば,ノスタルジックな意味合いを含む晩年の作であると言えるであろう。清親晩年の明治末期頃といえば,明治初年頃の東京を回顧する風潮が,文学界,とりわけパンの会を中心とした詩人たちに起こっている。後年清親と親交のあった木下杢太郎が,当時,詩や小説をうたった風景は,本図とぴったり重なりあう。そしてまた,杢太郎や北原白秋は,そうした回顧的な東京風景を,本図と酷似する,ホイッスラーの「Nocturne: Blue and Gold-Old Battersea Bridge(ノクターン:青と金オールド・バターシー・ブリッジ)」(テートギャラリー蔵),まさにその絵をとりあげ,その絵になぞらえて著している。接点が不明だった両作品は,近代詩の世界を介してここに結び付くのである。広重などの江戸の浮世絵に影響を受けたホイッスラーの作品が,明治に生きだ清親によって,東京に再出現する経緯を示したい。-20 -

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