③ 「1910年代末から1920年代前半のフランスにおける批評の文脈とマチスの芸術」発表者:お茶の水女子大学助教授天野知香ス美術研究の高まりにおいても,マチスの作品分析と時代の文脈との接点が十分に見いだされたとは言い難い。本論ではマチスの第一次ニース時代の変化に内在する意味,とりわけ多くの「オダリスク」に代表される女性人物像に向かった画家の意図と意味を,20年代前半を中心としたマチスを取り巻く批評の文脈と作品を通して理解することを試みる。第一次世界大戦という未曾有の近代戦による大殺裁を経験したフランスは,戦後愛国心のさらなる高まりとともに,神話化された「良き時代」の旧秩序への回帰と人間性の回復を希求した。フランスのラテン的な伝統,古典的な文化への回帰は立場を超えて称賛され,変わらぬ祖国の風景や伝統的な人物像の表象が好まれ,戦場と対置される平安や快楽の私的で情緒的な表現が増大した。それはまた同時にさまざまな形での女性ヌードの氾濫を意味した。そうした女性裸体像は時には自然や祖国,あるいは生命力の擬人化であり,同時にまた戦後の社会秩序の回復にともない,西欧近代の男性中心社会において制度化されてきた,男性の眼差しによって支えられる「芸術」そのものの復興を告げるしるしにほかならなかった。19世紀まで裸体画を正当化してきた形骸化したアカデミスムに由来する歴史的主題はもはや深刻に考慮されず,裸婦はそれ自体として絵画の重要な主題となった。第一次大戦後,戦前のフォーヴィスムやキュビスムの画家たちは,画商たちの活躍も手伝って安定した地位を手に入れる一方,アカデミスムの衰退は批評の場のみならず市場の場においても明らかなものとなっていった。しかし戦前のいわゆる前衛たち年)は,その後のマチスの評価,研究において,もっとも軽視されてきた時代である。造形的な分析が優先されてきたマチス研究において,陰影や肉付けなど伝統的な手法や主題が認められる20年代は,しばしば単に実験性の失われた,保守的な緊張緩和,休息の時期と見倣されてきた。近年における,第一次大戦後の社会的な時代状況を考慮に入れたフランマチスのいわゆる第一次ニース時代(1916■1930-21 -
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