セクシュアリテの芸術そのものも,それを取り巻く状況とともに大きく変化していた。アカデミスムとは結びつかないが,同時に20世紀後半のモダニズム/フォルマリズムの前衛主義とも結びつかない20年代のフランスにおける同時代の芸術,すなわち「生きている芸術I'art vivant」への注目は,新しい感性によるフランス伝統の再創造の強調と結びついた。戦前の“イズム”の変質や終焉とともに,同時代の批評は,この美術を,20年代に固有の錯綜した複数の概念と絡めながら認識した。その際鍵となったキュビスム/古典主義,印象主義/自然主義といった概念であり,セザンヌや,ルノワール等印象派の画家たちは,同時代とフランスの伝統とをつなぐ重要な位置を与えられた。マチスの1920年代前半の作品もまた,第一次大戦後の批評におけるこうした枠組みによって捉えられることになるが,その位置づけば必ずしも固定しない。「自然主義」,「印象主義」,「不定形」といった言葉によって,マチスの自然に基づく色彩農かだが輪郭やフォルムが明確ではない20年代前半の作品の特徴が強調される一方で,「古典主義」,「構成的」あるいは「知的な印象主義」といった概念とマチスの造形を結び付ける批評も見られた。しかし古典主義か印象主義かといったいずれにせよ当時フランスの伝統に結び付けて考えられていた造形的特徴の表面的な対立以上に,この時代の重要な批評の枠組みを作っていったのは,人間性や精神性といった,むしろ“単なる”造形性と対置される価値観だった。マチスが1920年に初めて自ら編集し出版したデッサン集『50のデッサン』の序文の中で,シャルル・ヴィルドラックは,「画家たちが絵画の“精神性”に心を向ける時代がやって来た」と述べ,マチスのデッサンをその証左だと論じている。ヴィルドラックはまた「彼が描き留めたものはもはや単に人物の外面的な特徴やリズムだけではなく,その個性でありその“精神的な特質caracteremoral"である」と述べている。しかしこの「精神的な特質」が,女性モデルに基づくこれまでになく親密で自由な表現を展開するこのデッサン集において実際に意味していたのは,女性モデルの個性から引きだされる画家の感情,感覚,その中心をなす男性画家の性的欲望である。この時期のデッサンに対するこれまでにない深い取り組み,そして前後して制作された画家とモデルの主題や「オダリスク」を通してマチスが求めたのは,様式上の実験というよりむしろ,対象,とりわけ女性モデルとそれを描く自分との制作を通した関係や,制作行為そのものの意味を問い直し,対象との一体化を通した自分にとっての“表現”_ 22 -
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