近法の普及者としてベルリン画壇に甚大な影響力をもち,ベルリン独自の文化・芸術環境の形成に一助を担った美術家としてのフンメル研究は皆無に等しい。申請者は従来「ビーダーマイアー」という甚だ曖昧な概念のもとに捨象されてきたフンメル作品様式の展開を改めて追い_その際「ビーダーマイアー」期の始まりとされる1815年より以前の作品群が後の画家の様式発展に重要な役割を果したとの立場をとる_それによって元来は文学史的・或いは政治的時代区分であった「ビーダーマイアー」という用語を美術史的記述に応用することなしに,フンメルの画業の全貌を解き明かすよう試みる。フンメルの芸術に通底するのは,美を知の一形態として追求する冷静な科学的精神である。その思想的根拠は18世紀啓蒙主義に,その美的規範は古典主義に求められる。デュッセルドルフ,ミュンヘンなど他のドイツ語圏の都市に比して決して高くはなく,ろ傍系とさえいえるが,絵画に限定しないのであれば世紀転換期から優れた建築家や舞台美術家を輩出し,かつデイオラマやパノラマといった大衆娯楽の中心地でもあった。1769年カッセルに生まれ1800年にベルリンの地を踏んだフンメルは,このような多様かつ特殊な芸術的風土に自らのオを証す必然を見いだし,世紀半ばに歿するまで長きに渡り遠近法の研究と普及に尽力する。その活動は同じく啓蒙主義者であり,古典主義彫刻家であったアカデミーの校長ゴットフリート・シャードウの精神に添うものであり,ベルリン画派の流れを背後から支えたという意味においてその影響力を過少評価することは許されない。申請者の研究は,ー画家の再評価によってベルリンの絵画史研究の間隙を埋めるのみならず,画壇全体の動きに配慮した分析を行うことで,後にはドイツ19世紀絵画史全体を見通すうえでも有効な研究基盤を提供するものとなろう。研究者:北海道立函館美術館学芸員穂積利明戦前戦後の在米日系人(日本人)画家についての研究は,国吉康雄,清水登之,野田英夫,石垣栄太郎などを中心として研究が進んでおり,展覧会としても「アメリカに学んだ日本人画家たち:国吉,清水,石垣,野田とアメリカン・シーン絵画」(東京19世紀前半のドイツ絵画史に占めるベルリン画壇の比重はウィーン,ドレスデン,⑦ ミキ早川とサンフランシスコにおける日系人画壇の研究-40 -
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