鹿島美術研究 年報第16号
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⑪ 富岡鉄斎の近代性についての思想的考査研究者:総合研究大学院大学文化科学研究科博士課程絵画だけではなく,文学藝術あらゆる分野においては,二十世紀以来,中国,日本を含めたアジアの国々では,「近代」という言葉にふれると,謂る西洋文明に影響された,西洋的「近代」を意味する。その影響でそれぞれの国の伝統文化の発展が留まっている。日本と中国の文人画がそのよい例である。しかし,鉄斎は日本絵画の西洋化の最中で,西洋に背を向けた非常に特別な存在であり,彼によって創られた「近代性」は,東洋的思想や学問を練り合わせた「東洋的」近代と言えよう。その思想的源泉を究明することは極めて重要で,有意義である。また,東洋,西洋問わずに,それぞれの文化の底に,進化する種があることをこの研究によって証されれば,文人画の分野にだけではなく,他の文学藝術各分野に,これからの藝術活動や,研究において大きな示唆となるだろう。⑫ 江戸時代における「青緑山水画」受容の研究研究者:学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程吉田恵理本来中国の文人士大夫の画として興ったとされる「文人画」「南宗画」は,元代に様式的に確立するとされ,明末清初には文人の大衆化によって身分や階級,絵の様式も多様化する。鎖国をしていた江戸時代においても,長崎という小さな窓口から舶載される文物の中には,明末清初の文人の大衆化の産物である『芥子園甕偲』のような文人山水画のマニュアル本的出版物や,詩と画が対となった『八種画譜』などがあり,これらが,祇園南海,彰城百川,柳沢i其園ら日本の文人画家とされる人々に刺激を与えたことは周知の事である。当時,日本人は中国の「文人画」なるものの実態もわからぬまま,画論や画譜,舶載された文物や中国人,黄漿文化などと共に,異国のものとしで憧れ,求め,受け入れていたようである。これまでの日本の「文人画」研究は,作家研究中心で,個々の画家の伝記や様式的特徴,近年では作品論と,それぞれに充実した成果をあげている。また,日本には士大夫も存在しないこともあり,日本に文人画が存在しうるのかを用語の上から探究した「南画」「南宗画」「文人画」という美術史用語の問題,近年の「真景図」に関する戦暁梅-44-

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