永趙⑮ 漢代画像にあらわれる天上世界の表現について研究者:成城大学文芸学部非常勤講師北村漢代の石開は,そこに表された浮き彫りが,画像石研究においてひとつの分野を確立する存在であるばかりでなく,すでに失われた古代中国の木造建築の構造を知るうえでも非常に貴重なものである。しかしながら,漢嗣についての研究は日本ではもとより,中国の研究者によるものも古い資料による報告が大半を占めている。1992年に出版された『四川漢代石闊』はなかでも最も信頼のおける資料であるが,この最新資料といえども70年代末の調査によるものである。幸い私は,1995年から1997年の中国留学期間中に,現存する漢関のほとんどを実地調査するという機会に恵まれた。漢闊の現状を伝え,その記録を留めるという作業も,これからの漢代研究にひとつの貴重な資料を提供するものであると確信する。また,漢関に表された図像を細かく見ていくことで,墓室画像に偏りがちな,漢代画像石研究にも注意を喚起したい。漢関は,それ自体がひとつの建築物として機能し,意味を持っている。では,そこに表された画像は一体何を意味しているのであろうか。墓室にしろ石棺にしろ,図像とそれが表される位置・方位に関してぱ注意が必要である。漢関についてもこの点に留意し,考察を進めたい。そして漢関を軸として,「天門」について考えていく。⑯ 楡林窟第3窟山水画について研究者:敦煙研究院助理・研究員楡林窟第3窟の山水画は敦煙壁画に表された大型の水墨山水画唯一の例である。このような山水の表現法は,莫高窟にはそれまで見られなかったものであり,むしろ両宋画院画家的な表現方法と思われる。これは,敦燒壁画乃至仏教芸術において珍しい例である。11世紀から12世紀にかけて,西夏は近隣の金や遼,北宋及び後の南宋と次々に戦争を起こしていた。12世紀の後半から政局は少し安定し,文化教育が進んだ。西夏が敦燒で大規模な石窟を造営するのは,恐らく12世紀末頃からだろうと思われる。この間,『敦燻研究』編集部副主任磐良-47 -
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