鹿島美術研究 年報第16号
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世紀末〜20世紀のタヒチ・イメージの形成,拡散に,延いては,こんにち通俗的に流布している楽園イメージに,どの程度かかわっているのかを明らかにすることを目的とする。ゴーガンを軸にそれらを分析するのは彼の作品や著書(彼に関する伝記も含めた)が,映画以前に欧米にタヒチのイメージを拡散,増幅させた,最初の“メデイア”だからである。いては,バーナード・スミスをはじめ多くの先達によって研究されてきた。だが,19世紀末にゴーガンという1人のヨーロッパ人がタヒチをどう捉え,それを今世紀に入って,メデイア産業などがどのように借用,再生産したかは未開拓の研究分野である。この研究をとおして,ゴーガン作品に人々が仮託してきた楽園幻想がどのようなものであったかもまた,明らかになるにちがいない。⑳ 明治前期石版画の研究研究者:早稲田大学会津八ー記念博物館客員研究助手増野恵子従来,創作版画運動以前の石版は単なる印刷技術であるとみなされる場合が多く,版画としての価値は小野忠重氏らわずかな先学をのぞき,ほぼ無視されてきたといってよい。近年,石版を再評価する動きは徐々に高まっており,玄々堂の展覧会が神奈川県立近代美術館で開かれる(1998.8.29■10.11)までになった。しかし,この展覧会においても,重要な作品の制作年代など事実関係の多くが未だに不明のままである。これは,前述の小野氏の研究以後,基礎的な事実調査がほとんど行われてこなかったことがその大きな理由である。申請者はこれまで,明治十年前後から明治二十年代前半に出版された一枚刷り石版画に焦点をしぽり,新潟県柏崎市の黒船館や個人蔵の作品を調査し,そこに記された版元等のデータに着目して作品の目録化を行ってきた。また,石版受容の実態に関する研究で,明治十年以前,最初期の石版版元である二代玄々堂松田緑山の周辺には高橋由ー,?五姓田義松,山本芳翠,石井鼎湖(石井柏亭の父)ら当時の名だたる洋画家が集っており,一種の西洋画研究サークルの様相を呈していたことを明らかにした。またこの研究で,明治初期,石版制作の場では,写真や洋画など隣接する諸分野との間で盛んな人的交流が行われ,石版画は初期洋画の一作例として受容されていたこと18世紀〜19世紀半ばに至るまでの“ヨーロッパ人がタヒチをどう見てきたか”につ57 -

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