@ 北朝画像石の研究していったか,あるいは変化するものとしないものは何であったかが明確となる。そのことにより,千手観音図に限らず,仏画における図像の取捨選択の姿勢,信仰と造像の関連が浮き彫りにされるのではないかと考える。研究者:北京大学副教授5世紀の末から6世紀のはじめ,鮮卑族国家の漢化改革にともなって,北魏の美術も南朝の様式を受け入れ,転換期を迎えた。この転換期に関する仏教美術の研究は仏教美術の研究者の努力により大きな成果をあげたが,世俗美術の研究はあまり進めなかったのは現実であった。欧米・日本(近年アメリカから購入した物を含めて)と中国各地所蔵北朝画像の数はもう何十セットにのぼる。しかし,欧米・日本コレクションの出土地点はいずれも不明であり,中国収蔵品に関する報告書の写真が悪くて,資料として使えないケースが多く,報告されていないのも少なくないので,北朝画像石全体の資料をまとめての研究は非常に難しい。今度の研究の目的は,最大限に中国に収蔵されている北朝画像石の資料を集めて,その上に,編年作業と図像学の解釈を行い,さらに,南朝美術思潮と様式が北朝に対する影響・西域風画像石の源流及び画像石と墓誌の共伴関係諸問題をめぐって,進めて行きたいと思う。北朝画像石の資料は,美術史だけでなく,孝文帝漢化改革後の北魏社会思想史・風俗史の研究にも重要な価値があるので,社会各界と各関係分野の研究者の関心も呼びよせられると思う。⑫ 北方初期版画におけるポリクロミーの研究研究者:金沢美術工芸大学助教授保井亜弓デューラーが「黒線のアペレス」と呼ばれたように,版画といえば「モノクローム」の表現が強調されるが,同じ時代には多くの手彩色版画や多色刷り版画が存在していたこともまた事実である。制作と受容との関係の中で,こうした北方初期版画におけ蘇哲-67 -
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