鹿島美術研究 年報第17号
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けよう。また,植民地という側面を取り上げることにはもう一つの意義がある。植民地での美術政策は表面的には朝鮮人の美術向上を謳いながらも,内実として日本美術の西洋に対するプレゼンテーションの一翼を担っていた。また,西洋を学ぶ日本が,学ばれる対象となる時にはじめて,西洋と同じレベルに達し得る自己の姿を確認したのではないかという疑念も指摘されよう。つまり,「美術政策」には二面性があり,この研究は,韓国近代美術におけるその意味を探るとともに,日本近代美術にとって必要とされていた朝鮮という面を明らかにすることにつながる可能性を持つ。韓国近代美術を,日本の影響を受けた外国美術,と単純にみなすのではなく,その独立性を認めた上で,双方の“影聾”の在り方を詳細に検討することにより,日本近代美術を批判的に再検討する他者の視線の獲得につなげようとする試みの,これは初期段階に当たる研究であると考えている。76

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