鹿島美術研究 年報第17号
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われ,選考委員を代表して大高保二郎・上智大学教授から選考理由の説明があった後,当財団佐用専務理事から,上記受賞者に対して賞状と副賞50万円が授与された。大高保二郎選考委員(上智大学外国学部教授)の選考理由説明:標記財団賞の選考委員会は1998年12月18日,階,木村,水野,河野,大高の5名の選考委員が出席して行われた。1997年度調査研究報告書のうち,選考対象者は51名で内訳は日本と東洋美術関係34名,西洋美術関係(現代を含む)17名であった。特に中国(韓国)と日本近代の論文が合わせて19本あり,最近の研究の動向がうかがわれると同時に,アジア系近代美術への興味が確実に広がりつつある。また今回の特徴として,第2次世界大戦に関わる美術の在り方をめぐっての論考が3本あり,いずれも精密な調査報告で全委員の注目するところとなった。概況はこのあたりでおき,財団賞の選考理由に移りたい。日本,東洋関係ではここに河野元昭選考委員のメモがあるので,それを読み上げる。『近代ドイツにおける日本美術の受容は,これまであまり注目されてこなかったが,安松みゆき氏は1939年の「伯林日本古美術展」を取り上げ,その様態と特質を初めて明らかにした。この展覧会にナチスドイツの政治的意図が働いていたことはすでに,指摘されるところであるが,安松氏は当初これが研究の立場から構想されたものであること,ヒトラーが強い関心を示した展覧会としてとくに強調されたこと,女性にも向けて宣伝されたこと,一般の観者は日本側が重きを置かなかった浮世絵にも強い関心を示したことなどを論証した。現地調査によって,関連雑誌の記事のほか,当時のドイツの新聞から391件もの展覧会評を確認した実証性も高く評価された。笠嶋忠幸氏は年紀を有する烏丸光廣の資料を丹念に調査研究することにより,その花押の変遷を明らかにした。また,これを援用して,光廣の賛を有する俵屋宗達作品の制作年代を推定する道を切り開いた。』一方,西洋美術関係では最終審査に残った4本から結局,宮下規久朗氏の「『移行I\’’IVリン-13 -

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