鹿島美術研究 年報第17号
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de gens)」という言葉はこのような分類に対応して映像化されており,働く人々はシ③ 「ナチスドイツと日本美術1939年の『伯林日本古美術展』の展覧会評を通して」れがその義務を遂行することによって,相互に補いつつ教会が成り立ち一体となるという理念が含まれている。王侯貴族でもなく聖職者でもない,こうした職人や商人,農民たちという一般の信徒たちに共通する特質は,中世史家デュビーが述べるように「働く」という行為と理解された。シャルトルの窓で彼らが働く姿でとらえられているのは,まさに彼らをその義務に携わる姿で,すなわち「働く人々」として提示するためであったと考えられる。シャルトルの窓とほぼ同時代の『ビープル・モラリゼ』の写本の挿絵においては,神が世界を満たした「さまざまな種類の人々(diversesmanieres ャルトルの窓と同様に描かれていることをつけ加えておこう。初期中世においては働く人々はほぽ農民に対応していたが,12憔紀半ばから都市の発展に関連して商人や手工業者などのさまざまな職種がそこに加えられていく。このようなテキストの例として,シャルトル学派のソールズベリのジョン(Johnof Salisbury)の《Policraticus》(1164年頃)や,シャルトルのステンドグラスとほぼ同時代に著されたジャック・ド・ヴィトリ(Jacquede Vitry)の《HistoriaOccidentalis》(1220年頃)などが挙げられる。シャルトルのステンドグラスは,その全体において,キリストを頂点として聖母,12使徒,諸聖人の物語や肖像のもとに,キリスト教世界を構成する人々を3つのカテゴリーに従って大聖堂のしかるべき部分に位置する窓の下部に配し,すべてが一体となって作り上げる「キリスト教会」という理念を目に見える形として表現していると考えられる。発表者:跡見学園女子大学非常勤講師安松みゆきはじめにリンのDeutschesMuseumで,日本の古美術展が開催された。この展覧会では名誉総裁に空軍元帥ゲーリンクと当時の首相平沼麒一郎を置き,その下に約60名による委員会が設置された。そこに名を連ねた人物には,例えば,ドイツ側では宣伝大臣ゲッベルス,外務大臣リッベントロップ,親衛隊隊長ヒムラ, いまから60年ほど前の1939(昭和14)年に,ベル-18 -

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