鹿島美術研究 年報第17号
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日本側では元首相近衛文麿,外務大臣有田八郎,駐独大使大島浩といった当時の政府要人がいた。また,学術的な立場にあった人物として,ドイツ側では前駐日大使で東亜美術協会会長デイルクセン,国立博物館群総長で東亜美術協会副会長キュンメル,国立博物館東洋部長ライデマイスター,ハンブルク大学総長グンデルト,版画家フリッツ・ルムプフ,日本側では伊東忠太,上野直昭,藤懸静也,正木直彦,溝口禎次郎,和田英作,亀田孜,兒島喜久雄,圃伊能,矢代幸雄,山田智三郎,秋山光夫,福井利吉郎,丸尾彰三郎等が認められる。選定委員によって選ばれた出陳作品は総計126点に及び,選定に際してはドイツ側から,作品の量よりも質が求められ,さらに,仏画,大和絵,近世の装飾画を中心とした日本画と仏像彫刻による体系的な枠組みが設定された。日本側は,それに基づいて具体的に作品選定を行ったため,選定された作品数の四分の三までが,国宝,重要美術品の指定を受けた作品で占められることになった。イギリスやフランスに比べ,ドイツにおける日本美術の交流関係が,希薄な印象を拭い得ない従来の研究状況の中では,これほどの規模の展覧会は,きわめて興味深い材料を提供してくれるように思われる。しかし,これに関わる既往の研究をふりかえるならば,展覧会の開催に簡単に言及するものはあっても,それを主たるテーマに検討したものはほとんど見出すことができない。ようやく2年前に,ドイツで桑原節子氏が「1930年代に開催された日本美術の2つの重要な展覧会について」と題する論考を通して,展覧会の概略を伝えたが,この論考も,もうひとつ別の展覧会にも焦点を当てていることなどから,本展覧会に関してはかなり短いものである。したがって,日本古美術展に関しては,まさにこれから研究が着手されはじめる状況にあるということができる。発表者は,鹿島美術財団の研究助成によって2年前の1997年に現地調査をする機会を得て,展覧会の関連雑誌(5誌)における記事5件のほか,現在ベルリン東洋美術館に所蔵される当時のドイツの新聞(155紙)の展覧会評391件を確認することができた。そのため本発表では,それらの展覧会評と,さらに,日本側で確認した『朝日』,『東京日々』,『読売』,『都』各新聞記事数32件と雑誌10件などをも考察対象に加えて,特に次の2点の課題について論じてみたい。すなわち,このナチスドイツ政権下に実施された「伯林日本古美術展」において,どのようにナチスが政治的な意図からこの展覧会をメデイア戦略にのせて紹介したのか,そして日本美術をどのように評価した19

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