鹿島美術研究 年報第17号
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(1568-1640)がサン・ロレンツォ・イン・ダマソ聖堂のために描いた「貧者と病人のら自己の画風を形成したと思われる。彼は1603年の有名な「バリオーネ裁判」の証言において,優れた画家として,ダルピーノ,フェデリーコ・ズッカリ,ロンカッリ,アンニーバレの4名を挙げており,同時代の後期マニエリスムや折衷派の画家を高く評価しているにもかかわらず,従来の研究では,ロンバルデイアの伝統やミケランジェロやラファエロの役割を強調するあまり,同時代の画家の影響を軽視するきらいがあった。そこで本研究では,従来指摘されたことのなかったいくつかの例を中心に,断片的ではあるが,カラヴァッジオの作品の背景となった16世紀末「移行期」のローマ画壇の代表的な画家とカラヴァッジオとの関係を,主に図像の面から探ってみた。また,ジローラモ・ムツイアーノ(1532-92)によるサンタ・マリア・イン・アラチェーリ聖堂マッテイ礼拝堂の装飾と,カラヴァッジオの実質的なデビュー作となったコンタレッリ礼拝堂の「聖マタイ伝」連作との関係を考察し,次にクリストフォロ・ロンカッリ通称ポマランチョ(1552-1626)によるキエーザ・ヌオーヴァ聖堂のフィリッポ・ネリ礼拝堂の「フィリッポ・ネリ伝連作」のうち「穴に落ちた助修士フィリッポを助ける天使」で,舞い下りる天使の表情が,カラヴァッジオの「慈悲の七つの行い」の画面上方にそのまま登場していることを指摘する。また,カラヴァッジオが当初その工房で働いたジュゼッペ・チェーザリ通称カヴァリエール・ダルピーノ中にいる聖ラウレンティウス」とカラヴァッジオの「慈悲の七つの行い」との図像および主題における関係を考察した。「改革者」アンニーバレ・カラッチ(1560-1609)は常に「革新者」カラヴァッジオと比較されてきた。理想的な美を求めた古典主義者に対して,デコールムを無視して粗野な自然に従った自然主義者,あるいは悪しき折衷主義の権化に対して,伝統に反逆した近代的な革新者というように,価値が逆転しながらも両者を対抗的にとらえる図式は温存されてきた。その後,ともに自然観察から出発し,ミケランジェロやラフアエロといった古典を研究したという共通性が明らかになったが,二人の影評関係についてはいまだ定説がなく,はっきりしていない。具体的な影響関係があると思われるのは,1594年から95年頃に描かれたアンニーバレの「聖ロクスの施し」である。このモニュメンタルな作品は,密集し多方向を向く人物群の処理という点で,カラヴァッジオの「慈悲の七つの行い」と「ロザリオの聖母」の着想源となったと思われる。以上の例からわかるように,カラヴァッジオの作品には,明らかに同時代の画家た-21

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