鹿島美術研究 年報第17号
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と,または個々の写本がどのようなグループに所属するのか,という分類に重点がおかれてきた。しかしながら,上記にあげた例に見られるように,同じキリストの生涯を描く挿絵を挿入する場合にも,場面数,配置,全体のプログラムはまったく独自のものであり,異なる意図に基づいて構想されている。また,高価な写本は数百年にわたって使用/再使用が続けられ,使い手の要請にしたがって挿絵やテキストが付加されていったために,標準型の範疇に入る福音書写本でさえも,どれひとつとして同じ様相を呈するものはない。すべての写本が生産の過程から使用にいたるまで独自の歴史をたどっているのである。ビザンティン社会において,画家は新しいものを創造するのではなく,常に定型の模倣を重ね続けた,という理解に誤りはないが,一方で,これまであまり注目されることのなかった個々の作例の独自性に焦点を当てることによって,模倣の中にも何か新しいものを創出していく,写本工房の現場を再現することもまた可能であると考えられる。具体的には,第1章ビザンティン福音書写本の概観(現存する作例数,先行研究,本研究のアプローチ),第2章挿絵入り福音書写本の標準型(外観,内容,挿絵の種類と配置),第3章福音書レクショナリーおよび新約聖書写本との比較,第4章特殊な福研究者:静岡県立美術館学芸員泰井国内外に所在する,日本人のロダン宛書簡及びそれに関連する資料については,これまで本格的な調査例がない。とりわけ,パリ・ロダン美術館には,日本人に関わるとされる書簡類が30通以上も現存する。また,国内にも,條山美術館に荻原守衛が旧蔵していた,ロダンを含めた彫刻に関する書籍及び書簡類が多数所蔵されている。新潟市には,ロダンの助手を務めた稲垣吉蔵の生家があり,彼とロダンとの関わり,さらにはロダン芸術に占める稲垣の位置を考える上でも重要な資料が現存する。また,現在,稲垣のご遺族はパリにご在住であり,ここにも両者の関係を示す資料(書簡,稲垣旧蔵の浮世絵)が残されている。東京には,大正期に不開催に終わったロダンのデッサン展開催にあたって,日本側窓口となっていた当時の日本大使館参事官,安達峰一郎の記念館があり,同館にも安達とロダンとの関係資料が残されている。これら第5章結論を構想している。③ ロダン宛日本人書簡についての調査・研究-36 -良

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