鹿島美術研究 年報第17号
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—釈迦・舎利信仰と宋風受容を中心に一一—⑫ 貞慶と重源をめぐる美術作品の調査研究研究者:東北大学大学院文学研究科博士課程瀬谷貴之鎌倉時代の美術史上,大きな問題の一つに宋風受容のことが挙げられる。これについては従来,重源の東大寺再興造営にみられる受容が,多く研究の対象となってきた。また,鎌倉彫刻史研究では,運慶・快慶,定慶など仏師個人の作風と宋代図像との関係が,主として取り沙汰されてきた。本研究では,これら造像主や仏師など,個人の個性を中心に論じられてきた宋風受容に対し,宋代仏教信仰の移入が無視できないことを明らかにするという新たな視点を呈示するとともに,宋風受容の本質的内容の読替を試みようとするものである。具体的には鎌倉前期南都仏教界の中心人物である貞慶と重源の,両者に共通する釈迦信仰ならびに舎利信仰を取り上げ,関係する作品を逐次,調査・考察することにより,その内容を検討することとする。またこのような,定慶と重源の関係を美術作品に即して明らかにすることは,で宋風受容の実体,すなわち造像主(ここでは貞慶と重源)の指示や意向が造像にいかに反映されたかを,明らかにすることになるであろう。さらにこのことは,近年注目されつつある,貞慶が関与したとみられる興福寺再興造像や,慶派の造像にみられる宋代図像の受容という,鎌倉彫刻史における大きな課題についても,一つの明瞭な解答を見出すことになるであろう。なお,研究の過程では,宋風受容について,我が国において採り入れられたものと,採り入れられなかったものの区別はもとより,貞慶と重源の間における受容の仕方の違いについても,十分留意しつつ考察を進めてゆきたいと思う。⑬ 前期日本美術院における木村武山の業績について研究者:茨城県近代美術館主席学芸員藤本陽子木村武山の名が近代日本美術史上,広く知られるのは,明治39年の日本美術院の五浦移転に際し,横山大観,下村観山,菱田春草の三人と共に,岡倉天心の命に従い,五浦に移住した画家としてではないだろうか。そして,それ以前の武山に関しては暖昧なまま,あまり触れられることもなく,近年の日本美術院に関する調査研究の著し-43

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