鹿島美術研究 年報第17号
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一〈カメラ・ピクタ〉の場合—⑮ 15世紀マントヴァ宮廷における君主称揚のレトリック研究者:お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士課程ルネサンス時代のフェラーラ,ウルビーノ,ミラノ,マントヴァなどの各宮廷は,血縁のみならず芸術文化の面でも互いに密接な関係を持っており,類似する芸術嗜好を有していた。しかし一方で各宮廷はそれぞれ独自の異なる君主称揚のレトリックというものを創出し,それを芸術作品として表現した。マンテーニャが宮廷画家として働いた時期,マントヴァ宮廷において,どのような君主称揚のレトリックが考案され,具体化されていったのかをカメラ・ピクタを例に検証することが研究の目的である。ウルビーノ,フェラーラ宮廷等の研究は進んでいるが,ことマントヴァ宮廷に関しては特に国内では殆ど例がない。また,カメラ・ピクタは制作中より,マントヴァ高名な芸術家や人文主義者たちに多く見学されている。否,ゴンザーガ君主によって見学を強要されている。作品の注文のみならず,その作品の顕示行為を通して,どういった自己宣伝活動が意図されていたのか,どのような自己イメージが流通することが望まれていたのか,を明らかにすることが,第二の目的である。これは近年国際的に流行の兆しを見せる社会的・政治的な「受容」の観点からの考察となる。申請者の研究の価値の1つは,『宮廷Lacmte』『ルドヴィコと息子達の遭遇L'Incon-toro』などの何か特定の主題を有する場面ではない部分,すなわち描かれた(あるいは実際の)建築構造に着目するという点にある。この壁面装飾がマンテーニャに注文された際,同時に同部屋の改築が建築家(恐らくルカ・ファンチェッリ)にも注文されたことが推定されている。だからこの部屋の装飾は画家と建築家の共同作業として捉えられるべきなのである。しかし,このいわば「地の部分」は研究史上これまで殆ど重要視されてこなかった。従って申請者の研究は,描かれた建築構造に着目し,また,描かれた議事建築構造と実際の建築構造との関係性に着目する点で,意義深いものである。-45 -松下真記を訪れた諸外交官,他国君主,

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