鹿島美術研究 年報第17号
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はしl)だいこくてんださに⑯別尊曼荼羅の研究ー一南北朝・室町時代ー一—cm)室町時代(大阪市立美術館蔵)のような三面十二腎の旺愧尼天との関係も考慮し研究者:神奈川県立金沢文庫長真鍋俊照真保亨氏が昭和60年に『別腺曼荼羅』(毎日新聞社)を発表された。この時期までに収集された図像,画像の別尊曼荼羅が約71点ほど綿密な図版解説が施されており,また,両界曼荼羅と別尊曼荼羅の区分けを念頭においた論考も付加されている。作品の時代も平安〜鎌倉時代が中心である。筆者は,その後,真保氏が研究対象とされていない,また,神道曼荼羅などでも特に取り上げられていない,南北朝〜室町時代に視点をあてた,神道・修験系の別尊曼荼羅に注目することになった。その理由は,密教両部(胎蔵界・金剛界)の胎蔵界系の展開を軸とする別尊曼荼羅の広がり,流布が吉野・熊野山系や大峰・天川等といった固有の別尊曼荼羅を生み出すに至った。そこで,本研究では,中世とくに15世紀前後の密教曼荼羅の展開を個別の作例を調査しながら,考察したいと考えている。このことは密教絵画史の価値観を考える上で重要である。まず,蛇頭人身とする三面十腎の弁才天を中心に展開するものは次の2点である。①天川弁才天曼荼羅(99.7X39. 5cm)室町時代「伝詫間法眼筆」②天川弁才天曼荼羅(97.7X40. 2cm)室町時代(1546年)「琳賢筆」は,ともに奈良能満院の所蔵のもので,宇賀神,稲荷神,それに画面中に男女神を描いている点は従来の密教の別尊曼荼羅には見られない神仏習合の新しいタイプの曼荼羅である。この新しい図像の増幅は,別の流れをくむ③旺愧尼天曼陀羅(82.5X41. 4 なければならない。ただし③は,元は比叙山明徳院伝来のものであるから,叡山修験を念頭に置いて,展開の実体を考察する必要がある。また,一方ではこのタイプが狐に跨るという図像から,伏見稲荷神との源流の問題も検討しなければならない問題もじている。さらに④天川弁才天曼荼羅(105.0X38. 4cm)石山寺蔵のようにと脊属とする意味も,室町時代以降,江戸期にかけて「稲作と十五童子」という長期にわたって伝承されてきた筆者提起の問題も同時に考慮に入れたい。ここには,また⑤走大黒天像南北朝時代(神奈川県立金沢文庫蔵)のような別尊曼荼羅から,さらに独立して画像として尊崇された律宗系の大黒天信仰の問題も関係してくると判断される。筆者はこれらの別尊曼荼羅の中世の展開の問題を,密教図像を通して究極の2つの対立概念(胎蔵界と金剛界)の融合の形の増幅という視点でと-46 -

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