「ネオ・ダダ」「時間派」「グループ音楽」,そして1960年代を駆け抜けた「ゼロ次元」などは,十分に発展のある歴史を形成している。未だに日本の近代美術史や美術館活動においては,近代的な制度としての「美術」の概念や,アカデミズムや欧米モダニズムの両方から規定された「作品」観が支配している。本研究はこれまでの美術史研究では不可能であるか無意味であると思われていたが,しかし真に創造的で挑戦的な美術家による表現の可能性を問い,歴史の中に正統な場を与える試みなのである。⑱ 近代大阪の日本画家と大阪の印刷・出版—北野恒富とその周辺を中心に一研究者:大阪市立近代美術館建設準備室主任学芸員橋爪節也大阪の美術史を考察していくと,東京・京都の両画壇の歴史をそのまま投影する形では理解しきれない部分が多く見えてくる。いわば東西画壇の“政治力学”とは別の大阪独自の美術形成の土壌がそこにはあり,そのことを,比較的,明瞭に示したのが画家と大阪の印刷・出版業の関係と考えられるのである。その点において本研究は日本近代美術史の空白部分である大阪の近代美術史を埋めると同時に,東京・京都を中心とした美術史に更に別の史的流れを加えることになるものである。また大阪は印刷産業の盛んな土地であり,大正11年に大阪で開かれた「印刷文化展覧会」には20日間で20万人が入場した。この盛況ぶりの背景を考える上で大阪の画家の活躍やその作品をより具体的に追跡していくことは,単に絵画史にとどまらない,デザイン史にまで広がる視野が必要となってくる。その点において本研究は,大阪を題材としながらも,広く日本近代美術史全般に新しい視野を提起するものである。以上,本研究は,等閑にふされてきた大阪の美術史に光を照射するだけではなく,ー地方の美術史にとどまらず,その研究課題の設定において従来の美術団体中心か,逆に画家の個人史中心であった近代日本画研究に一石を投ずるものであり,そこに日本の近代美術の多様性を探り出したい。48 -
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