⑲ 中国南北朝時代の西北地方における地方造像について⑳ 蛯川式胤の研究—明治5年社寺宝物調査を中心に一一—研究者:大阪市立美術館学芸員齋藤龍中国南北朝時代における仏教美術の研究を概観すると,大同や洛陽などの大都市を中心としたものであり,「大都市から地方へ」という,一方的な文化の流れのみが論じられてきた。これは大同や洛陽といった大都市に,多数の石窟や造像が現存する地方の造像についてはおおまかな分布さえ不明であったこともその一因であろう。また造形的にみるならば,大都市の作例は地方のものに比べて優れているのは事実である。しかしながら近年,各地で新たな作例の発見や調査の発表が相次いでおり,西北地方(本研究では甘粛省東部・映西省・山西省の一部をさす)の作例についても,その概要がおぼろげながら明らかとなってきた。その結果,地方の造像がたんに大都市の模倣に終わったものではなく,各地方で独自の造像を生みだしていたことがわかってきたのである。以上のことから,西北地方の作例に関連する資料を整理し,各地の造像がどのような影響によって生まれ,いかに展開し,それぞれ地方の独自性を示すに至ったかを考察することは,複雑な南北朝時代仏教美術史の全容を解明するためには欠くことのできないものといえるだろう。同時に,これまで軽視されることが多かった地方造像の再評価につながるものとも考えられる。また,大阪市立美術館をはじめとする日本の美術館・博物館に所蔵される中国仏教彫刻のうち,石窟より将来されたものや銘文を有する作例を除けば,大部分の出土地が不明である。しかしながら,各地の造像にみられる独自性を明確にすることにより,日本所蔵作例の具体的な出土地を明らかに示すことが可能となるであろう。以上が本研究の目的である。研究者:東京都江戸東京博物館学芸員米崎清嵯川式胤には,日本陶磁器の先達,文化財保護の先覚者,博覧会の創始者,日本古美術の海外への紹介者など数多くの業績を挙げることができる。この式胤の著作とし49 -
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