鹿島美術研究 年報第17号
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にそれらの作品とは異なる力を与えている。本研究の目的は寺院や教会に納められた彼の仏画,イコンの所在を明らかにし,作風の変遷をたどり,いかにして彼独自の図像を形成していったかを見ることにある。さらに,キリスト教と仏教が習合されたかのような図像を生み出した彼の宗教観を解き明かしたい。如鳩の作品はその独自性ゆえに美術史の流れに組み入れることが困難である。翻って考えてみれば,今までの美術史の枠組みではおさめきれない「もう一つの流れ」が確かにあるのではないか。如鳩の一連の宗教画を支えた精神的基盤,さらには如鳩作品を出現せしめた「流れ」をさぐってみたい。⑫ 紅摺絵研究ー一宝凋f•明和期にかけての浮世絵界に関する一考察―研究者:山口県立萩美術館浦上記念館学芸員吉田洋紅摺絵時代の代表的浮世絵師,西村重長,奥村政信,鳥居清満,鳥居清広,石川豊信等は,鈴木春信の存在が注目されることによって忘れられがちであるが,春信様式の成立に欠かすことの出来ない浮世絵師である。春信が絵師として活躍を始めた紅摺絵期(寛延〜宝暦)には,これらの絵師の描いた作品に共通する滴洒で繊細な画風が,紅摺絵期の典型的な様式として成立していた。そして後の春信様式の基礎となるような時代を築いている。春信作品に見られる見立絵と同じ傾向の作品が紅摺絵の時代にも多く認められる。春信の師と言われる西村重長は,石川豊信の師とも言われ,画脈上の関係も推定される。このように浮憔絵の歴史の上で,錦絵の前段階にあって意義深い時代と思われる紅摺絵の時代に活躍した浮世絵師たちの動向を知ることで指摘されているが明瞭にされていない絵師同志の影靱関係を具体的に明らかにすることが本研究のひとつの目的である。錦絵の草創は,一部の好事家による絵暦交換会という特殊な世界から始まったため,上流階級の人が錦絵を楽しんだ。しかし,春信が活躍を始めたのは,紅摺絵の役者絵であり,庶民に向けた浮世絵を描いていた。錦絵が登場してからも,その最初期に当たっては,おそらく庶民には紅摺絵が供されており,次第に錦絵が庶民にも享受される時代が訪れたと考える。突然に錦絵が描かれ,商品として流通したとは考えにくい。錦絵が登場した浮世絵界では,春信以外の絵師も活躍したはずであるし,紅摺絵の中には,錦絵が登場してから作られた作品も含まれてい-51 -

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