鹿島美術研究 年報第17号
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⑬ 対抗宗教改革期におけるヴァラッロのサクロ・モンテると考える。そこで,紅摺絵作品の全体の動向を知ることによって,紅摺絵から錦絵へ移行する時代流れを春信以外の浮世絵師を含めて展望することが本研究の最終的な目的である。研究者:大阪大学大学院文学研究科博士後期課程大野陽子対抗宗教改革期の北イタリアにおけるカトリック教会の美術政策の具体例となるヴアラッロのサクロ・モンテの調査は,北イタリアの当時の美術環境の一端を明確にするであろう。そして,そのことは,17世紀にローマで活躍した北イタリア出身の芸術家たちによる美術刷新の背景を明らかにすることにもつながる。カラヴァッジオに代表される光と影の対照を強調することで人間の内面を表現した写実的な絵画の基盤を,ヴァラッロのサクロ・モンテにおける絵画と彫像による聖劇の表現に見ることが出来るからである。また,サクロ・モンテにおける写実的な表現に徹した造形美術が巡礼という宗教的な行為と大きく関わっており,あらゆる階層の人々を結びつけることを目的としていたことは特に注目される。従って,本研究は美術の構想と制作,そしてその受容の問題の解明にも関わってくるものであり,単に一地域の一時代の特殊な研究に留まるものではない。サクロ・モンテの図像の解釈に関しては,カトリック教会が当時,宗教的図像にどのようなメッセージをもたせたのか,芸術をどのようなものとして捉え,制作を推進していったのかという問題がある。その考察の方法としては,同時代のロンバルデイア地方で上演されていた「キリストの受難」を主題とした宗教劇や宗教行列や十字架の道行きの実態を分析する必要がある。サクロ・モンテにおいては,対抗宗教改革期に多くの改変が加えられた礼拝堂や新たに造られた礼拝堂はもっばら「キリストの受難」を表した礼拝堂だからである。同時代の社会において「キリストの受難」がどのように表されていたのかという点で,宗教劇などの上演形態はサクロ・モンテの表現と深く関連をもっていると考えられるのである。同様の理由から同時代に北イタリアの各地に造られた他のサクロ・モンテとの比較も必要である。さらに,サクロ・モンテに関わる公会議の記録や美術に関する司教教書や発言を検討することで,当時の美術政策の中でのサクロ・モンテ構想を-52

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