ったかという問題についてかえって明快なかたちで今日の我々に示唆するところがあるように思われる。永島良節像を研究することは,今日の我々が抱く肖像彫刻に対するイメージ,つまりこれまで美術史によって刷り込まれてきた一面的な見方を改めるきっかけとなるかもしれない。そして,一般には低迷したといわれる近世彫刻において,特長的な造形をみせる近世俗人像の一群に新たな視点を投げかける可能性を秘めている。⑰ 南朝美術における湖北地区の位置付けー一イ角を中心とした考察—研究者:大阪市立東洋陶磁美術館学芸員小林副葬明器である桶は,秦始皇帝陵の兵馬桶を筆頭に,明・清時代までその命脈が続いており,中国美術史,とくに彫塑史において一つの独自のジャンルを形成している。しかし,従来日本のみならず中国においても桶の美術史的研究はそう多くはないというのが実状である。近年の盛んな考古学的発掘により,その資料数も格段に増えた桶を研究する意義は大きく,中国美術史上の様々な問題を解決する上でも大いに有益であると思われる。とりわけ南北朝時代の南朝の美術については,残存する美術資料数の少なさから,ともすれば文献史学的考察が中心となりがちであった。一方,都であった南京(当時の建康)の文化的影響力を検証するという従来の視点に加え,最近はさらに各地方都市美術における独自性にも目が向けられるようになり,南朝美術の多様性ということが意識されるようになってきた。映西省南部,河南省南部,湖北省,江蘇省など南朝の領域からの桶の出土例は決して少なくなく,そうした桶を考察することによって各地域の独自性や南京との文化的影響関係といった問題が理解されるはずである。申請者はこうした考えの下,修士論文において南北朝時代の桶について取り上げ,その中で漢水流域に点在する南朝画像碑墓の陶桶の共通性を指摘し,南北境界地域であった漢水流域の文化的特殊性を示した。そこで問題となったのが南朝の領域の中でも南京に次ぐ重要な地域である湖北地区である。南京と長江でつながり,また漢水流域へもつながる武漢地区や荊州を中心とした湖北地区は,南朝美術を考える上でも,また南朝と北朝の文化交流を考える上でも無視することはできない。今回の調査では,湖北地区から出土した桶を中心に美術史的な考察を行い,南京からの文化的影響や湖仁-55 -
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