鹿島美術研究 年報第17号
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―19世紀イタリア美術を取り巻く諸相との関連から一一—1876年に開校された本邦初の本格的な西洋美術教育機関であったエ部美術学校北地区の独自性,さらには南北間の文化交流における湖北地区の重要性などを明らかにし,南朝美術,さらには南朝文化の多様性の問題を解く一つの可能性を示したい。⑳ 二臀琵琶弾奏弁才天の研究研究者:文化庁文化財保護部美術工芸課文部技官川瀬由照弁才天像の作例は八腎像の方が古くから制作されてきており,これまで八腎像についての研究は多く,二腎琵琶弾奏弁才天像についてはこれまでその成立についての研究はほとんどない。しかし,二腎琵琶弾奏の弁才天像は中世以降流行し,とくに近世では民間にも熟烈な信仰をあつめた。現在では弁才天といえば二腎琵琶弾奏像であるとの認識の方が一般的ではなかろうか。しかも二腎琵琶弾奏像は音楽神としても広く信仰されていながら,その成立事情については不明な点が多い。したがって二腎琵琶弾奏弁才天像の成立に関する研究は,後に流行する弁才天信仰の解明にとって非常に重要で,他の形像の弁才天との比較ともあわせて研究を行うことにより,この特殊な像容の弁才天の成立と展開について判明するものと思われる。こうした像容の弁才天の作例は,彫像・画像ともに検討すべきものが多くある。本研究では,類例(彫像,画像)の調査研究を行い,その系統などを考察し,図像的な成立について考察する。また,西園寺妙音堂本尊像を伝えた西園寺家には数多くの文献資料が伝わっていた。こうした史料は現在諸処に所蔵されているものの,ほとんど公刊・紹介などがなされていない。しかしながらこれらの史料には中世のものもあり,また妙音天に直接言及するものもある。本研究では遺例の検討のみならずこうした文献資料の調査を合わせて行うことにより,二腎琵琶弾奏弁才天像・妙音天像の成立の状況について研究する。⑳ アキッレ・サンジョヴァンニ研究研究者:早稲田大学大学院文学研究科博士課程河上真理-56-

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