H ィヒに制作された詩画軸について考察を試みる。臨済宗夢想派の大岳は,室町時代の代表的文学者の一人であるが,かつて中国文人の文化を積極的に移入した義堂周信(1325-1388)のもとで詩文を学んだ経験がある。日本における詩画軸は義堂の周辺にはじまるため,大岳には,詩画軸発展の初期の段階を支えた禅僧集団の文化的活動に接触したという文化的特徴が認められる。また,彼は,将軍足利義持の信望厚く,相国寺鹿苑院に迎えられ僧録を掌る(1404-1414)など,幕府と深い関係をもつ杜会的側面をも持ち合わせている。絵画史的な関心から注目すれば,若干年代の下がる『蔭涼軒日録』などの史料に窺えるように,僧録であった大岳は御物に献上された絵画を目にする機会を持ち得たと推察されるため,興味深い存在であると言える。以上を考慮すると,僧録である大岳周崇は,御物や禅僧請来の中国絵画に接する機会があり,それに拠った新たな詩画軸の制作を企画しうる特権的立場にあったと考えられよう。また,大岳は,その文学的素養から,それらに特定の意義や機能を付与することができる人物でありえたとも推察される。以上のように,大岳周崇は詩画軸の問題を考察するにあたり重要な人物であると認識されるが,従来この点に関しては絵画史研究者の間で十分に注意が払われることがなかった。これを踏まえ,本調査研究では,大岳周崇と同じく臨済宗夢想派に属し僧録を旱つた絶海中津(1336-1405)や郡隠彗跛(1357-1425),巌中周麗(1359-1428)らの事跡をも参考しながら,大岳周崇が着賛した数点の山水図について具体的な考察を試みたい。⑳ 14世紀前半のマケドニア地方における教会堂装飾―聖ニコラオス図像を中心に一研究者:大阪大学大学院文学研究科博士課程本研究では,東方正教会文化圏における代表的な聖人の一人である聖ニコラオスを主題にもつ説話図像をとりあげる。研究の中心を,時代的には14世紀前半,地域的にはマケドニア地方に据える。まず,聖ニコラオス説話図像が教会堂の装飾プログラムのなかでどのような様相をみせているのかという問題についての綿密で網羅的な調査を実施し,その調査内容をつぶさに分析,検討する必要がある。次にそのような作業松-58-
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