@ 久隅守景のいわゆる加賀時代の画業についての調査研究だに研究が十分尽くされているとはいいがたい。また,島内の主要な産地の染織に関しても,その類似点・相違点は指摘されながら,相関関係は明らかにされていない。本調査研究の対象である「ビダ」は,産地について諸説あることに加えて,素材・技法・文様に,スマトラ島南部のいくつか主要産地の染織と共通する要素を持つ。このことから,ビダはその多様な造形要素を検討することで,産地間の相関関係を知り,スマトラ島内の造形文化の交流の在り方を知るのに恰好の題材であるといえる。もちろん,従来のように一地域に限定して考えるのではなく,複数の地域で制作された可能性も追求する必要があるだろう。ビダに関しては,衰退が著しく,かつての使用状況を知る人々が高齢化していることからも,できうる限り早期の調査研究が急務である。ビダの定義や産地の再検討を通して産地間の造形的な影響関係に言及することができれば,スマトラの染織研究に美術史的方法論からの新しい光を投げかけることができるであろう。研究者:広島大学学校教育学部助教授菅村国宝「納涼図」の作者である久隅守景は,狩野探幽門下四天王のひとりとして賞されるほど高く評価される画家であったにもかかわらず,そして探幽の姻戚であったにもかかわらず師家を破門されたと伝えられ,その後,加賀金沢での活動や京都周辺での茶人達との交わりがうかがえるものの,その画業の具体的な様相は明かではない。また,出自や経歴等も不明である。本調査研究の第一の目的は,そのような守景の画業を明らかにしていくことである。特に,破門以降の時期はその作風確立に重要な意味をもつと思われ,この時期の守景の画業を明らかにすることによって,守景芸術の解明を少しでもすすめたい。そしてこのことは,それ自体が明らかにされるべき課題であるとともに,江戸前期の狩野派を考える上でも興味深いいくつかの課題と結びつく。それは探幽を頂点とする江戸狩野の作風・作域の確立の問題,組織確立の問題,そして探幽と守景という画家同士の関係についての問題などである。さらには,共に探幽門下四天王と呼ばれた他の三人の画家との比較検討も可能になろう。-66-
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