これまで先学によって積み重ねられてきた多くの研究によっても,まだ明らかにならない点を,この調査研究だけで全て解決できる訳ではないが,いわゆる加賀時代とそれに続く時代という限られた期間のことではあっても,守景の画業を,具体的な裏付けをもって明らかにすることが出来れば,今後の守景研究,ひいては江戸前期絵画研究に大きく貢献できるものと考える。⑫ 江戸時代制作両界曼陀羅図の図像的研究研究者:国際日本文化研究センター教授頼富本宏我が国における両界曼陀羅の研究は,主に平安期の美術史的に価値の高い作品を対象として成果が積み重ねられてきた。その結果,高雄曼陀羅,西院曼陀羅などの名品については,成立の歴史的背景などが明らかにされてきた。それに続いて東寺伝存の諸曼陀羅を中心に両界曼陀羅にも大別して二種の系統があり,いわゆる恵果・空海直系の現図正系曼陀羅と,それ以後の新要素の入った非正系と仮称される両界曼陀羅のあったことが知られている。両界曼陀羅の図像研究は,その後しばらくふるわず,江戸期になって世にいう元禄本が制作されるときになって再び復活したといってよい。原本となるべき永仁本が著しく破損していたため,監修者の仁和寺孝源が多数の資料を参照しながら各尊ごとに図像を再検討したのである。この元禄本の影響を受けて,江戸時代には数多くの両界曼陀羅が制作され,かつ長谷寺や石山寺では版本の両界曼陀羅も印行された。多くの曼陀羅は,ある意味では玉石混交で,中には誤写もあるが,普及化の中で新解釈の図像表現も少なからず認められる。美的レヴェルとしては必ずしも高尚ではないが,参詣曼陀羅の流行のように,定型的な両界曼陀羅にも人々の願いが盛り込まれるようになったのは,時代の変化を反映して大変興味深い。⑬ ピーテル・アールツェンの《姦淫の女》に見られる前景後景対比構図の意味とブクラール以降への影響について研究者:日本大学松戸歯学部講師申請者は,現地での文献収集,資料調査をもとに,アールツェンの宗教世俗画の初堤委-67 -
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